2009年7月5日日曜日

サヨナラベイビー

ここ何日か街や友人宅を徘徊している
何故か?鍵を持たずに家のドアを閉めてしまったからだ。

夏詩的なパリの街に感謝、友人たちに心から感謝を。

引越も決まり、頼りない馨を放つ恋と恋人を終わらせ
私はまた深い緑の揺れるパリのマントをまとってひとり歩き始めた。


「道化師との再会」

汗をひたいに乗せて私は歩いていた
ルーヴル美術館前のパレロワイヤルの広場
ひとりの男が水晶玉を身体に転がして滑稽な音楽と一緒に大道芸をしている
背中を見て思わず彼の名前を呼んでしまった。

彼は東欧と日本のハーフ、フランス育ちの男。
ヴィスコンティ映画の「ベニスに死す」の美しき少年ビョルン アンドレセンが青年になった姿。

「!!ミオ。。。ドウシタノ?げんき?ホントウニ久しぶりだね。。」

びっくりした彼は路上パフォーマンスですっかり日に焼け
少し一服したいから木陰に行こうと誘ってくれた。

お互い最後に逢ったのはいつだったのか覚えていないね、と笑った。

「今日は人が少ないんだ。。でも毎日ここで最近は水晶玉をシテイルヨ。
ボク。。。今でもミオの歌を流しながら水晶玉でパフォーマンスをシテイルヨ。。。」
。。ミオ、元気?。。ずっと元気でイタ?。。歌を今も歌っているの。。?」

彼はプロとして水晶玉を操る大道芸人になっていた。
久々にお互いの話をした。
少し日本人らしい細くてきつく優しい目の中の色は。。昔と変わらず透明に近い灰クリ色だった。

「。。ミオ、きっと今のミオは元気ダネ。ぼく、わかるよ。だって今日ミオが着ている服は
明るい綺麗な黄色の服だもん。ぼく、わかるよ。。?」


私は泣きそうになった。

「私、もう少しで引越すの。。これからその家を見に行くの。。。。そろそろ行くね。ありがとう。」

「うん。。」

手を振って次に逢う約束はしなかった。

階段を降りる前に彼を振り返ったら。。。鼻に赤いものをつけて
おかしなピエロのまねをして笑いながらこちらに手を振っていた。ずっと。




ガラス玉師になりたかった彼と、歌手になりたかった私がいた。
有名ではなくとも、、、そうなった。

一緒にゲーンズブールや昔の長淵剛を聴いたり、神様のお話をしたり、空を飛ぶことを話したり
買ったばかりの大きな水晶玉を持たせてくれたり
慰めあったり


そんな小さな恋があった。

彼がくれた名刺の裏は
鋭いイバラの中に
優しく光る水晶玉がキラキラしているものだった。