2011年5月12日木曜日

いわさきちひろ


素敵な絵はがきを頂きました

小さな頃から私は...いわさきちひろさんの絵に囲まれて育ちました
幼い頃はこの春の時期に「ワラビ」や「バッキャ(ふきのとう)」を取りに行ったことを
思い出します

彼女の作品はいつになっても心に優しい風を吹かしてくれます

本当に静かに笑顔になります

どうもありがとう...!


と或る日


                    

昨日、夕方からピアノに向かっていたが....気が付いたら布団の上に倒れていた
大好きな日本食が届き夕ご飯を食べる
大好きなNOKKOさんのベストアルバムを聴いては気が狂ったように部屋の中で一人踊りまくる
またウトウトする
炭酸水を飲み目が覚める

最近、身も心もボロボロだったので
ピアノは「一度顔を洗ってから出直してよ」とベットへ私を運んでくれたのだろう

ありがとうピアノ

ある意味、音楽三昧の1日だった

以前、この界(よ)はいつからあり、今後も地球が有り続ける日び
そんな多くの数え切れない日びの
と或る小さな日に私は生まれたんだ
そんな日でした

渇いても、湿っても、自分を貫くのみ


お祝いして下さった皆さん、どうも有難うございます
感謝とともに...


              明日からまた新しくキラキラして生きます!!


2011年5月1日日曜日

今日の日のスズラン


La mer de Fukusima(a cote de nucleaire )au mois de fevrier 2011 et ma mere




今日はメーデーで祝日だった
街中で少年も少女も大人もスズランを売っていた
少年から買ったスズラン、枯れていた
家へ帰り水をあげる

その後この2週間、家にいた小ネズミがハープの横で天国に行っていた
猫のミロンガがよく捕まえては遊んでいたけれど、滔々...体力が尽きてしまった
私は夜な夜な続くミロンガとネズミの鳴き声に寝不足の日びだった

なんだか、それでも悲しくて。そっと小ネズミを庭の土に運んだ

やっぱり、命だからね
確かに小さい悪さもするけれど18歳の終わり以来一人暮らしの私は
家に自分と違う命があることを、とても敏感に思う
ナメクジであろうが、ハエであろうが
やっぱり
友達だからね

ミロンガの遊び相手はもういないのに、彼はどこかキャロキョロして今も小ネズミを探す

私は少年から買った今日の日のスズランを
庭の土に眠る小ネズミにそっとかけてあげた


先週、仙台にいるすぐ下の弟と電話をする
弟は昔から感情的にならないけれど、静かに色々話してくれた
いつも来る患者さん達が亡くなったこと
近くの海へ自転車で行ったこと

彼はどんな気持ちで海に立ったのかな、と電話を切ったあとに想った

避難所にいたけれど今は、アパートで暮らす

私たちにとって、岩手の、宮城の海も、全て懐かしい思い出ばかり


さて、夏は仙台で飲むかな
「ミオ、仙台さ来て、一緒に笑って飲むべ!」と被災した幼馴染みが誘ってくれた


変わり果てた故郷だけど
そこには「変わらない、なんか」があるがらね

それだげだっちゃね、と

小ネズミと人々に感謝




写真 今年2月、福島原発にとても近い美しい海の町
母がスポーツをした笑顔の写真