2015年6月24日水曜日

雨音は心にやさしい 私はひとに同調しない























昨夜は網戸から雨が入るのに
椅子によじ登って、暗いお外をのぞきながら

私が歌っているOver the rainbowを
娘が気持ち良さそうに
大声で歌っていた

始めはフランス語、そのうち宇宙語で&%△○□!?$



教えた訳ではないのに
小さな子は本当に吸収してしまうのだなと思う

最近の楽しみは娘と漬けた
レモンと生姜の蜂蜜漬を一日一回ペロッとしながら

かき混ぜること





































日本に居て

「常識は」

「普通は」

「人と同調してもらわないと」


とかいう言葉に最近押し潰されてしまいそうになる時がある

そういう時は雨の音が心にやさしいな


よりひどく苦痛になる時は

そう言うときは雷雨と豪雨に流してもらう 










早くレコーディングをして


タヒチとパリに。




音楽と喜びと呼吸を

三つ編みのように

より濃く

織り上げる




そう決めているから

今を悲しむこともなく

淡々と

淡々と

凛々と

清々と

黙々と

津々と

朗々と

浪々と

朧朧と!



日本語っておもしろい!






























2015年6月18日木曜日

宮沢りえさん


























雑誌はもうあまり購入しないけれど
これだけは欲しかった


昔から宮沢りえさん好きです

読みたい内容だったから


家族って色々あります
誰でもそれでも少しでも笑えて

感謝しながら
自分らしく生きれたらいいなと思います


今日は夏も近いのに
美しい漆黒のバレリーナシューズを購入いたしました


これから武満徹さんの歌曲を弾き語りで練習します






























































 東京の家のリビング






























































長野の友人が送ってくれたお手紙の切手が美しいので
眺めるのが好き










2015年6月15日月曜日

娘との時間 芸術家として血に流す




























(RIESLINGは最近のものですと2010年ものがオススメです^^
実家のお隣の高橋晶先生(東北では言わずと知れた音楽教育家(特に声楽、ピアノ)の
大御所の先生) 宅でドイツからのRIESLINGを先日御馳走になり...感激でした!)



2歳の娘と今夜は
彼女が好きなイタリアのオリーブと薄味のチーズで
乾杯します

納豆も海苔も梅干しも、大好きな彼女
フランスパンも、オリーブオイルも、オリーブもチーズも
パテ ドゥ カンパーニュも大好きな彼女

私よりもフランス国籍が取りやすい彼女

三分の2は日本語、残り1はフランス語

私が出来ることはこれくらい。

フランスのお水で人工ミルクをずっと飲んでいた彼女は
大きくなったら日本人

その後のインターナショナルをプレゼント出来るのは私
その選択を選ぶのは彼女。
















  







(先日、実家で生まれて初めて冷やし中華を食べた時のポーズ笑)











もともと音楽家と書道だけに生きてきた私は
母親になっても母親ではない気分の方が99%締めていて
娘は....それでも私のあとを

「ママ!」とヨチヨチ歩いて追いかけて来る


最近、一ヶ月で2センチも身長が伸びた


天使が天使から卒業する準備を少しずつ始めているのかしら



土曜日に彼女が歌っていたうた

「イチゴ畑で、かくれんぼ、してたーら、僕たち見つけてもらえない、

まだ青いから〜」




なんてシビアなキツい歌なのだろう笑

ある意味、私の歌っているシャンソンなぞよりも
人生の青い厳しいことを歌っているぞ...と吹き出してしまった


「ecoutes, j’aime bien cette chanson la, encore s’il tu plait encore!」

(ねえ、私そのお歌が好きだからもっと歌って)

と言うと、ずうっと歌っていました笑



かと言って時々私は不意に「岩手県南弁」も顔を出すと
娘も

「どごさ、いっだべ(探し物の対して、どこにいったかな?)」と真似をする

































土曜日の朝

いつも身につける白い手袋を丁寧に 洗っていたら

「ママと一緒にハープを弾く」と言う

時々、私に余裕がありそうな時に娘は声を掛けて来る

膝の上に娘を乗せて好きなように一緒に弾いていると

「木ちゃん、ママみたく弾きたいの、どうやって?」と言う


娘の年頃の子は、子供は
本当に何でも興味津々な季節

私も2歳半から祖母の元で書道の筆を握って遊んでいたので

そういう環境だったので、良くも悪くも
王羲之や空海や比叡山の伝教大師、大丸先生や...
中国日本の大御所の先生方の作品に触れる環境にいた

韓国の書道も素晴らしいですよ!

だから一流が何なのか、とか
そういう息づかい、流れは幼いながらに感じていたので
(もう一流とも、呼びませぬ、もっと上に呼吸をする人物の作品は
人間の造り上げた言葉や、芸術評論なぞ...出来るものではなく

人間界の表現をこえた宇宙に在り )


.....そして子供なりに
自ら書道の世界から足を洗って行った
自分なりの辛さの時期がある

(私を否定したかった大人の書道家たちもおりましたから
自分も否定したまま色々なことを葛藤のままで、
苦しいままで終わらせた時期でした)






そして最近、私はいつも思い出す


妊娠していてもお腹が大きくならずに
臨月だけお腹が大きくなったことや


それでも、大好きな赤ワインを時々飲んでいたことや

担当医のドクトルのロワールの別荘で優雅に過ごした日びを

出産直前までピアノを教えていた
ひとりの夏の終わりのパリの夕暮れを。



友人との、大切な人々との日びを。




......










最近、娘はつま先立ちや、かかとでチョビチョビ歩けるようになり

始めて出来た自らの行動に「きゃっ、きゃっ」と嬉しそうに
笑いながら何度も、何度も同じことを「見て!見て!」という

正座も出来るようになり、素敵にヌイグルミと並んで座っている




人生初めて。のこと

私たちだってあった。それを忘れていっただけ

































日曜日にペットボトルの中にガラス玉を入れて遊んだ

以前、パリでガラス細工を学んでいた時期に作った
無数のガラス玉


「わー、きれいね!とっても、きれい。」という娘。







新しいこと


そういう人生を私たちは何歳になっても
生きるということが出来ると、いうことを

忘れたくない




私も明日から、新たな世界に
真っ新な生まれ変わった気持で飛び込む

何歳になっても

きっと私は幸せだったのだと


眺めるために




私は今でも

好きな時にワインを飲むし

いづれフランスにも別荘を買うでしょうし...



心が崩れそうな日は
いつも西の太陽に、想いを掛けて

沈む美しさや儚さを
呼吸とともに

血に流します





自分らしいから

それは





























































































































































































そのうち、大きくなって大切な風船を持って
飛んでいくのだろね











2015年6月12日金曜日

芸術>音楽>(聴く)>感じる>風>無



























実家の近くにある「観自在王院」にて
風がお花を娘の髪の毛にかざってくれました













日本でコンサート活動を再開するようになり
気がついてくることがあった

昨日、いつも髪を切っていただく美容室 &Evolveの
近藤さんとお話をしていた時に

より鮮明にそのことが理解でした

近藤さんがチョイスするお店に流れる音楽は
良き古き時代のシャンソンを現代の歌手がカバーしたもの

とても心地よく、パリの風景に触れることが出来る時間です



日本でシャンソンをフランス語で歌うと

「意味がわからないから...ちょっとね」的なご意見を戴く
少なくとも何人かから

私的には???

jazzもヴォサノヴァも、「意味がわからないから...ちょっとね」と
思って聴くのかしら?
ライブで感じながら聴くのだろうか?

どうして「日本のシャンソン」はこうなってしまったのだろうか。

(どうしてかは、存じていますが敢えて今は語りません)




実は音大生の頃、弾き語りの課題がある授業があり
私は「枯葉」を弾き語りに選んで弾いた
(何故ならjazzのオータムリーヴスが好きだったから)

しかし、あまりにベタベタな日本語の恥ずかしい歌詞に
ビブラート満載のお手本CDを聴き

「なんてこった!こんなの歌って、弾いてられるか...
もう二度とシャンソンなんて歌うもんじゃない」と思ったのだった




私的にはシャンソンは、jazzやロックやファド...メタル、フュージョンと同じ

鼓動を「感じるもの」だと思っている

音楽って本来そういうものでしょう?



以前、都内の老舗シャンソニエで飛び入りで歌わせて戴いた時に
フランスにも行ったこともないシャンソンかぶれの方に

「あなたのフランス語の発音が変」
「伴奏も好き勝手」
「生意気」

好き放題言われたことがあるのですが

もう二度とそんなガチガチに固まったシャンソン歌手やピアニストの前で
弾き歌わない、と決めた

コンクールの時も、オーディションの時も
みんな嫉妬の塊。


日本はフランス語で歌う歌手が少ないし
歌詞の意味も分からず、つまらなくなってしまうので
需要と供給がない、とまで言われる


そしてどうしてフランス語でシャンソンを歌うのですか?と
笑ってしまうくらいのご質問を戴くことがある


ただ単に私は「そう歌いたいから」

付け加えれば
元々の土地で、民衆が喜びも悲しみも苦しみも
その土地の原語での特有な、美しい「韻」 を踏みながら出来上がって行った歌

それを大切に
流れるままに、流れるままに歌いたいから

流石にパリに行きたての頃はフランス語や発音に四苦八苦した
それを今、流暢に歌えるのは
やはり「そう、フランス語の美しさの中で歌いたかったから」

(それは何故私がフランスに渡ったか、というお話にいづれ
綴ります)

エディット ピアフの時代の発音と現代のフランス語の
発音の流行も違うから

それを粋に遊びながら歌い替えるのも楽しみのひとつ。


そして日本の童謡も、民謡も、演歌も歌曲も好きですよ

美しい日本語が生きて素晴らしいから
母国の言葉は世界中での共通語ではないからこそ

奇異で、貴重で、繊細で、危ういくらい美しいと思うから。


シャンソンを日本語で歌うくらいだったら
日本歌曲を粋に歌い上げる方がしっくり、幸せだと思う

だから今後も私はシャンソンはフランス語で
当たり前に歌います



オペラなぞはひとつのストーリーで長時間なので
あらすじをご自分で調べてから足を運んでみられたり
楽しむためにヨーロッパの言語を学ばれるのも

ひとつの楽しみだと思います
(無論、日本語に訳されたオペラも沢山ありますね)



私はシャンソンのピアノ伴奏も、自作曲のピアノ伴奏も
すべてサラッと即興で作ってしまうので(その後は多少練ります)

そういう感じでライブやコンサートをするのが好きです


重い歌詞や、激しいものも、ありますが
それも聴く、というよりは

「感じて」

その方が、音楽らしいです

芸術です



そもそも、


芸術>音楽>聴く>感じる>風>無

と私は思っていて


音楽は手に取って触れることが出来ない「瞬間芸術」です



そこに「歌詞がわからないから」という想いは
よりご自分の感受性を複雑に遠いものにしていると思います

(私のライブの場合は歌う前に日本語での説明を入れていますが
説明をしてもそう仰る方がいます)



極論をいえば、フンフン、と感じて流して楽しく過ごして欲しい

だって民族音楽やジプシー音楽や...生け贄の黒ミサの語り?に

「意味がわからないから、ちょっとね」とは言わないでしょ笑




無論、日本には日本語でシャンソンを歌われる素敵な方々がいるのも
存じているので一概に良いも、悪いも、ないです

ただ自分はそういう歌手ではないというだけのことよね


いつも心柔らかく、いたいですね

強いていうならばフランスにいた時のように
ピアノを練習する時間をもっともっと作りたい

より自分らしく自由な環境で生きたいという願望は変わらない


だから、そうなるよう歩き続けることを信じます



ちなみに&Evolveの近藤さんは
日本語(歌詞)もあまり意識しないで音楽を聴く、と

仰っていたので、嗚呼、なるほど....と思いました


歌詞を気にせずに聴く「うた」はいいですね^^




波の音、川の音、今日の風の音

涙の垂れた跡

笑い終わった余韻

残り香

残像

血潮

そして

まなざし




























岩手県花巻市「高村光太郎」記念館








2015年6月9日火曜日

フランス語でカタル夢































雨の日の朝、目が覚めた

長い夢を見ていた

すべてフランス語で

逢いたいフランス人の友人たちと
代わる代わる楽しくお話しする夢を

ぼんやり少し頭痛がする憂鬱な懐かしい気持ちで
朝を迎えた




8月のライブが一段落したら
ビジネスフランス語を改めて学びに行こうと決めた


それにしても来週の
パーティーのドレスは何を纏おうかしら .....


紫陽花のお帽子をあたまにつけて
踊りたい気分

それともアヤメを肩に乗せようかしら










フランス語で話す夢をみたせいか

昨日、広尾で美味しいバゲットと赤ワインを購入した




憂鬱な羽は

未来の羽ばたきのために

背中に

今の私を


語るのだ



遠く離れた愛する土地の、愛する人々と逢える「夢」というものは
なんて素敵なのだろう

夢に感謝

眠りに感謝なのである






唇には口紅のかわりに、愛をのせ

時に悲しみをものせ

手をすり抜ける風は

今日を教えてくれるのである


























2015年6月2日火曜日

声楽のピアノ伴奏は、海辺で貝を拾うこと





























在る方にピアノ伴奏を頼まれ

突然のことだったがテノールとバリトンの間の声域...
素晴らしい方の伴奏を引き受けた




山部赤人「不じ山を望みて」

武満徹「小さな空」



この山部赤人(やまべの あかひと)は聖武天皇時代の宮廷歌人である
天平8年(736年?)の方.....

このような遥か昔の、我が日本の歌曲をピアノ伴奏するのは
初めてである

そして武満徹の声楽曲は以前より興味を持っていたので
楽譜を渡されたとき

非常に嬉しかった

(これは今後、自分のライブでも弾き語りすると決めたくらい
シンプルで、自分の心に鈴の音のように入り込んで...まどろんだ)




声楽伴奏するなぞ
何年ぶりだろう

心が踊り、小さな頃の音楽を楽しんで遊んでいた
ドキドキワクワクが蘇った

高校生、音大生の頃や、パリ時代は伴奏をバイトでよくやっていた

本当に懐かしく、心がイキイキする時間である

初見で弾きながら
どういう内容で、ブレスは、山は、リタルダンドは
どれくらいに持っていくのか...

限られた時間の中で歌い手と楽譜を読み取りながらの作業

こんなに心が躍るものはない




まるで海辺で貝殻を拾うことと同じこと
わたしにとっては


小さい頃、海に行っても泳がずに
必死に楽しんで貝殻を拾い集め

海ではない場所でも親にねだって貝殻を買ってもらった

あの気持と、ピアノは同じであり
歳を重ねても重ねても

変わらないことに至極至極
気がついた




先日の安曇野でのライブのMCで

「私はシャンソンを手放してもいいと思っている」と述べた

シャンソン歌手がそんなことを言って変なのだろうが


自分はジャズでも、ロックでも、クラシックでも、民族音楽でも
自然の音でも

自分らしく「そこに在れたら」いいのだ

シャンソンは私の小さな表現方法の一部に過ぎない

ある日、の呼吸のようなものだ




そして工場地帯からも、廃墟からも

美しさを私は見つけることが出来る

この世をすべて翻弄して
旅してどこまでも奏でることが出来るのだ


自分はどこのだれそれです、と

どこの音大を出て、どこに留学をして
こういうことを体験して

なんて
本当はプロフィールに全く書かなくとも

自分は歌と演奏だけで
勝負出来ると(当たり前だが)

表現出来ると自負出来る物語が好きだ


一切、前置きの飾りがない
ステージは眺めが良い心であろう



























ご来場を有難うございました























安曇野市「チロル」さまでのコンサートが無事に終焉いたしました
80名のお客様にお越しいただきました
長野県内、関東方面よりいらして下さいました方々
そして9年越しにライブに来て下さったお方…
その方は何度も何度も3枚目のCD「鬼畜」を聴いて下さり
当時とても辛かった時期に
私のうたが一緒に人生の暗い道を
散歩してくれたんです…
と仰って下さった時
私は泣きたくなりました
初めての会場で
初めてのお客様
それは
ワクワクの始まりであり
お一人、お一人のお客様に
言葉ではない
沈黙の感謝を
音と音のはざまから
伝えてながら…
そして
ピアノには華道家の杜 達史さんから
私をイメージした
なんとも言えないお花の姿を頂き
いつも傍らに小さなお花の愛を感じながら
コンサートをすることが出来ました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
次回は新しいCD販売も同時にいたします
お楽しみにいらして下さいませ
尚、コンサートのお写真はまた後日に
アップいたしますのでお楽しみに!
最後に「チロル」の峯崎さん、岡本さん
スタッフの方々、篠田さん
新聞社の方々、映像の方、カメラマンの方
会場作りをお手伝いして下さいました岡本さんの息子さまに
心より感謝いたします
どんどん
まだまだ
私は行きますよ!
Merci
今宵の演目
第一部
喫茶「工場の煙」
Mon amant de St- Jean(サンジャンの私の愛人)
La vie en rose(バラ色の人生)
Autour d'une  écluse(水門のまわりで)
花棺
ジプシーの名もない歌
第二部
L'arc- en-ciel  (Over the rainbow)
Hymne à l'amour(愛の讃歌)
Les feuilles mortes (枯葉)
美しいこと
忘却
Il n'y a plus d'après (あとはもう無かった)
アンコール
Le temps des cerises (さくらんぼの実る頃)
次回のライブは
8月に関西方面と岩手県になります
是非、遊びにいらして下さいませ^ ^