2010年1月30日土曜日

自分磨き


夕方ピアノの生徒のミッシェルの家へノコノコ歩いていた

広い最上階のゆったりしたアパルトマンの窓から...薔薇紅茶を飲みボーッとしていると
「ミオ、これね、日本のお土産のお礼よ!」とミッシェルが手渡したのは
身繕いセット一式!!
何て相変わらず太っ腹のミッシェル....これはこうしてね....と説明付き
自分ではこんな豪華な身繕いセット一式を購入は不可能だから
嬉しくてビックリして飛び上がってしまった

そして...只単に私を喜ばせようとしたプレゼントではない...と言うのは
ミッシェルもその友人のダフネも
世界の最先端...?フランス美容の学者で世界を飛び回っているキャリアウーマン
実はよく人の表情やお肌の調子を職業柄見ている
彼女がセレクトしたものたちは...今の私のお肌に必要なケアばかり...
いつの間に...チェックされていたのかしら...^^

そんなミッシェル、今日はオフだけあって夜はデート
ピアノレッスン中は髪の毛をターバンでパックしながら集中
やはり素晴らしい....!
日び飛行機で世界を駆け巡っても、自分磨きと精神安定を必ずする
歳は私の母よりも少し若いくらいで、はつらつとしている^^

私も身繕いが小さな頃から大好き
かと言って、高級な化粧品には容易く手を出さない
そしてなるべく動物実験をしていないメーカー...を選ぶことを忘れない
流行っているから、とかではなく、自分のお肌が欲している最低限のものだけ
そうしてお肌を甘やかさないことにしている
そしてBioのものをこの5,6年は使っている
Dr.ハウシュカやジャック パルツ(フランスの通信販売のみ)など...余裕があると
Bioではないけれどシスレーなど...

フランスに来て、まだフランの頃、びっくりする程に化粧品が安くて
免税店に務める友人のお店に行き沢山のものを試したけれど
その分、肌を痛めて失敗も沢山した....
今は自分の肌をわかっているから殆どセレクトするものは決まっている

それにパリジェンヌのように普段はお化粧をしないので日本にいる時よりもお肌が元気だ

かと言って、自分をほったらかしたり、人をほったらかしたりはしない


ミッシェルは今日、私を抱きしめて言った

「風邪のミオのことを、ずっと思い出して考えていたわ....
このプレゼントで今夜はよい香りで自分の為の時間を作るのよ。
これからの、あなたの笑顔のために」

彼女、美しいな...と思った

美しい人は、薄く柔らかいヴェールをまとっている
そして、一緒にいると...そのヴェールで優しく包んでくれるのだ

私ももっと、自分も他の人も包める、透通るヴェールを持ちたいと思った

ようは
美しさ
その人の精神なのだろうな
どんな高価な美容液よりも


2010年1月29日金曜日

見つけた


私は見つけました
何を見つけたかと言うと
キラキラを、です


1月の晩餐会







楽しい夕ご飯会をしました

この光景は昨年の6月ぶり

ギャレット デ ロワを食べましたが....カエルが入っていたようです

楽しいニコニコ時間はあっという間に過ぎてしまいますが

これからのエネルギーになって、またお互い一生懸命やっていきましょう

.....これから忙しい時期に入ります
ひた向きに生きて行きたいです。


お洋服の展示会






先日、パーティーに行ってきました。
これはまた....普段とは違う音楽以外の濃い世界。

私は世界のマエストロ(音楽の巨匠)が着そうな
黒い上着に一目惚れ。
.....男子だったら...こんなお洋服を着て舞台に立ちたいなぁと妄想に入っていました。
(その場でBeethovenのシンフォニーを指揮している自分を妄想)

沢山の色々な国の方々がいらしていました。
久々に逢うハルナちゃんと....
殆ど隅っこでワインを飲んでお菓子を食べていたり、少し通訳をしたりしていましたが
楽しい光景が目の中を潤してくれました。

世界でも有名な人が来ていたのだそう!

楽しい夜でした^^


2010年1月25日月曜日

今日のひとりごと


「何か」に近づくのは、知性が鈍くなった時ではなく
正反対に
物事の本質に至ろうとして知性が敏感に深まった時だ


躯に霞が踊る日も
躯に霜が声をかける日も
躯に雨が沁みわたる日も
躯に凍てつく太陽が眩し過ぎる日も

私は誰かとこの世の絶景を見渡していたい
目を見開いていたいのだ
大切なものは何かということ

目をつぶって見える想い、思い出
目をあけたら
そこにある悲惨な光景
日だまり
時間
あなた

躯に雪が降る時こそ、本望だ
何故なら幻想を愛し続けて来たのではないと
確信出来るからだ

冷たきは温かきを知る

心の奥にある真実を呼び起こしてくれるからだ

時の印


私はある1つの今までの自分の創作から
引退しようと思っている

そして、新しい創作を始めるだろう

今とてもそう感じる

本当はずっと前からそう思っていた
そうしたかったのに
モガイテばかりで出来ない自分がいた

今、現実にそうしたい、無意識的にもそうなるだろうと感じるので
これからが
然う言う時期に入っていくのだと察する

時の印を1つ1つ見つけてゆく....これから


2010年1月24日日曜日

笑顔がある日


現在、une grippe tres fort....(日本語で何というのだろう...)で寝込み中です。
そして相変わらずこの季節...家のお湯が出なくなってしまい....ウルウル...
なんて、か弱い私じゃありません!
お湯が出ない生活なぞ、慣れております、このおフランス。
ちなみに冷蔵庫もコンロも故障中
そして近所のマーケットは何故か昨日から工事で閉店....

電気ヤカンでお湯を沸かし、タオルで身体を拭く、顔を洗う気持ち良さ
そして
寒い時期にお湯があると言う温かみを確認できる

先進国にいたら、とうの昔に忘れられている「不便さ」
しかしフランスは古い国....いくら先進国でも「不便さ」満載ですが
いつもなら忘れている、ちょっとした「便利」の有り難みを本当に心から教えてくれます。
「当たり前」が「当たり前」ではなくなる時のことを。

もう寝込むのに飽きてしまい、ベットにMacを連れ込みます




今日は.....


嬉しい写真

世界の海の果てから来た....
暖かく笑顔のある時間

その人が幸せだったら、私も幸せで
自分を消した時、周りが幸せだったら...もうそれでいいや...と思う


自分を中心に置いて、私はこうだから、こうなってほしい、こうして欲しいと言う
自己愛は....とうの昔、北上川に沢ガニと流して来ました
いや...セーヌ川の小エビと共にか

最近、生きて来て良かったなと思う事が沢山ある

誰でも精神的な欠如は穴はあるもの
私だって、アパルトマンのお湯みたく時々、心がストライキを起こしてしまう時もあります

ただ、笑顔だけは優しさだけは失いたくないです

誰かがいるから、そうなれる、と言うのもあります

笑顔や優しさがある日は、どんな苦しい日だって
乗り越えられるのですから

歯を食いしばって、自分を殺して乗り越える日だって生きていれば
喜ばしい日よりも、更に多く訪れるでしょう

それは、私も知っています


来週のいつからか、お湯のシャワーで身体を洗えます
ありがたみ

その人の存在のありがたみ
お湯の有り難み
見知らぬ人の親切
誰かの笑顔


今年も、また人生を改めて実感する1年です

既に出航しました
私のお船
どこかに向かって


2010年1月20日水曜日

ル ベベ

お昼に懐かしい声から電話
高校時代の通学を共にしたCさんから

赤ちゃんを授かったとのご報告.....とても嬉しい^^
彼女は大きな病で授かれないかもしれない...と言われていて
その病気の中でも....日本でのライブに足を運んでくれて....

これからも彼女を按じて
小さなベイビーが元気に育ちますように祈る日び

次回、逢う時はベイビーも一緒のことを想像します

電話を切ったあとに....静けさの中で「わーい、わーい」と心が
飛び跳ねていました
心の中に小さなお花が咲いた気持ちです

色々乗り越えて来て、やっと授かった命
静かに鼓動が動いているのだそう
自分の身体の中に、もう1つの命があるから不思議だよ、と彼女も言っていた

....私のまわりは犬や猫たちの妊娠が周りには多いけれど
やはり近くの親しい友人の妊娠はとても嬉しい

どんな命もみんなこれから繋がってゆくんだなぁ....


Cさんはモデルさんで170センチ、私はコロコロの150センチあるか無いかの
デコボココンビでいつも一緒に歩いていた
大雪の日も、爽やかな夏にも....そんな岩手での高校の日を思い出しました

雨の日の
嬉しい1日の始まりでした

Cさん、穏やかに新しい命ともに...これからを祈っています
神秘だな....

2010年1月16日土曜日

Home sweet home


音楽には「想い」が人それぞれ有るから....生きるのだろう

明日に伴奏する日本歌曲に「椰子の実」がある
島崎藤村が作詞した歌だ

美しい昔の日本語の歌詞....
弾き語りで練習していると、今の言葉はあまりに粗雑すぎるように思えて来た

昔の言葉は1つ1つ重みと香りがある


フと久しぶりに「埴生の宿」を耳にする
映画「ビルマの竪琴」「火垂の墓」でも使われている曲
原曲は「Home sweet home」

ずっと前からこの歌を英語と日本語で歌いたいと思い、暖めている
「Home sweet....」なんて感じたことも思ったこともないが
本当はもう戻っては来ないけれど、そう言う時代があったら良かったのになと思う節はある

どこかで求めていたから
この曲を聴くと心のどこかで、空想して歌いたくなっているんだろう


明日は大人も子供も楽しく歌が歌え、笑顔がある時間になりますように

2010年1月15日金曜日

ある小さな雪の朝


....よく末っ子か一人っ子に思われがちですが、私には弟が2人います
別にブラザーコンプレックスでも何でもありませんが

明日は歳の離れた子の誕生日です
何年経っても忘れられない光景と想いがあります

ある雪の朝に
病室にいる母と、産まれたばかりの弟を入室禁止を知らずして
駆け寄り....小さな男の子を見ました
「....うわぁ....この子が弟....小さいな.....ずっとこの子を守ってあげよう....」
そう思って驚いてニコニコしていた自分

20年以上前のお話
何年経っても忘れることの出来ない情景が心にあります

その子は大きくなってジャンルは違えども同じ音楽の道を選びました
「ミオちゃん、ミオちゃん」とヨチヨチあとをついて来た子
大人になり歩き方と顔の骨格が私にそっくりな子

地球のどこかに、存在することが頼もしい

遠い昔の小さな冬の朝に訪れた喜びがありました

今では久々に逢うと「日本の政治家は誰がやっても、もう同じなんだ」と
行政事情を説明してくれます....

小さな命は、大きくなってゆくのだなと知らされます

誰でも一人一人、奇跡なのですね

2010年1月14日木曜日

暗い明日は美しい


もし明日が暗くて、闇であってもいいと思っている

何故なら私は

どのような日でさえ

自分の祈りを通して生きるからである


2010年1月12日火曜日

滝 廉太郎(1879〜1903)


最近、週末は出かけて何かを弾いている

今週末は日本歌曲のピアノ伴奏だ

その中に滝廉太郎の「花」がある
題名は知らずとも、日本人ならば誰でも聴いたことがある歌

この曲は私にとって思い出深い歌
12歳の時以来に、この曲を真面目に伴奏するからだ
当時、小学校にも大して行かずにクラシック音楽会へ行ったり
祖母が指揮をするママさんコーラスのピアノ伴奏をたまにしていた
初めて真面目に日本歌曲を伴奏した歌がこの「花」

当時をゴニョゴニョ思い出しながら最近練習している
その他は「上を向いて歩こう」「ふるさと」「ヤシの実」など...
楽譜はあるが...つまらない。と言う事で勝手に編曲している今日この頃....

様は、歌われる方々が楽しく気持ち良く歌えるのが一番!

この滝さん、日本の好きな作曲家の一人です
23歳と言う短命でしたが、ヨーロッパへ日本からの留学第2号だった彼。
最後は音楽をしたくとも、病に冒され作曲が進まなかった気持ち
本当に辛かっただろう...と感じます

「花」以外で有名な曲は「荒城の月」「箱根八里」など...
彼の作品集CDを持っていますが
自分の死期を悟った時に作曲された「憾(うらみ)」と言うピアノ遺作曲が素晴らしい...
重く、本当に「遺」な曲ですが全身全霊でいつも音楽に向かった彼の心の波が
現れている気がします

「荒城の月」はベルギーで賛美歌にもなっています

今夜は滝廉太郎の作品に向かいたいと思います
母国の邦楽、美しいです

特に滝さんの作品は時々、湿りと影が、生きる儚さを歌っている
やはり日本人に生まれて良かったと思います

ヨーロッパの何処を探しても見つけることが出来ない
心の景色や、趣があるから

2010年1月11日月曜日

白い息



18歳までの私が自分の部屋から見ていた景色
子供の頃は全部
あぜ道と田んぼだった

時が過ぎて
私が変わっても
雪景色は同じ

雪が降る音以外、何もない
そして私も
本当は変わっていない



竹よし






昨年12月、1年ぶりに行きました!
何故か最近もまた行きたくて仕方なくなっています....

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが
私はお酒(渋いもの)....そしてきっと大人な舌を打つ物が好きです
↑と言いつつ生ものを食べれるようになったのはこの4,5年^^;

普段は質素なお野菜の生活で
お肉は食べませんが
東北生まれだけあってお魚は大好きです

ほどよく嗜む北の海のもの...と寒い日の日本酒

「竹よし」.....マスターの優しい笑顔と....海もの
常連さん方も個性的で温かなお話
そして何故かラデュレのケーキ^^


今後も、日本へ行ったらまず「竹よし」です

マスター、美味しい温かなお料理と、素敵な笑顔をどうも有難うございました

今年も必ず行きます^o^

お腹も心も
優しく元気になれるお店です!
ほっぺが落ちました

ちょいと大人になり、年に1,2度ですが生まれて初めての行きつけのお店....です☆



竹よし
東京都中野区鷹宮3-2-14
営業時間17:oo〜24:00(23:30ラストオーダー/天ぷらは23:00まで)
定休日:毎週水曜日、第2土曜日(お食事会のため予約制営業)
西武新宿線都立家政駅2,3分

蜂鳥のこれから



週末はミサのオルガン弾きなどをした

先週は極寒でマイナス13度...パリ近郊のエッソンヌ県ではマイナス20度だったのだそう
本当に寒かったけれど
お部屋の中でヌクヌク...ボーの頭はしばしピアノ練習の妨げになった

窓をあけて寒さでピリピリした空気を深呼吸すると
おもいっきり頭がさえて、極寒が「気分新た」をプレゼントしてくれた


ソルド(バーゲン)が始まり、合間を縫って
演奏会用の靴や黒いワンピースなどを探しに...近所のデパート「Franck et Fils」などへ
ここは地元の小さい高級デパートで観光客の人々など全くいないので
買い物がしやすい(しかしソルド以外では足を運ばない)
でも...思い当たる「これだ!」と言う物が見つからず
最終的には人ごみと乾燥に堪え「コーラ」とクリスマスツリーのオブジェ「蜂鳥」のみ購入

蜂鳥はとても大好きな鳥で、近所の雑貨屋さんで一目惚れだった

家の中で男の子がミニカーを手にして「ブーン」とやるように
私も蜂鳥のひもを指に通して「ブーン、ブルルル...」と最近、一人遊泳中だ


そして
最終的に
私は自分には高級すぎる大きな写真アルバムを2冊購入した
本棚に置いても重みが有りながらも優しく暖かいもの
それはこの
パリでの10年間の自分の思い出を....やっと私は
アルバムに納めてゆこうという決意が出来つつ有るからなのだろう


人生は
変わりつつ有る

多くを手放して


2010年1月7日木曜日

演奏会


L'audition de la Classe de Piano de Monsieur Atty LENGYEL

Mardi 02 Fevrier 2010 ,20h

(Bach, Schumann,Chopin,Franck,Rachmaninoff,Gershwin etc...)

Conservatoire Russe de Paris Serge Rachmaninoff

26, avenue de New York 75116 Paris (Metro: Alma Marceau ou Iena ligne 9)

Je vais jouer du Bach de Partita no.6(entierement)BWV 830



2月2日(火曜日)
所属するセルジュ ラフマニノフ パリ ロシア音楽院にて久々にピアノを弾きます。

今回(私は)バッハのパルティータ6番(全曲7曲)BWV 830を弾きます。

あと...1ヶ月もないな...雪と寒さと一緒にバッハも悪くない
心も目も空気と一緒に澄んで
敬虔にピアノと対話したいと思います


先日、ピアノの師匠アティー レンギエルと親友のスヴェトラナのCDが発売されました
昨年の2月に青い目のイロナが誕生して、2週間後にお祝いに行った時
スヴェトに「ヴィオロンセル(チェロ)はどうしてるの?」と尋ねたところ
「え、毎日2,3時間は最低弾いて練習をしているよ^^」とのお答え...
赤ちゃんを産んで間もなく寝不足の彼女....素晴らしい!
それよりも...彼女の長年のパートナーの大きなギャビ(シェパード)が
赤ちゃんに嫉妬をしてしまい...大変だーと心配していた

その時、私が思ったのは自分が同じ立場にいても...彼女のようにいたい...と思った...

師匠は86歳でのCD発売だけあり、音にもう本当に「迷い」がない
澄み切った人生の悟りの音
でも本人は「俺はいつも「自分の音色」を何歳になっても探している」と言う

結論.....私は幸せ者だ、と言う事だ
音楽に真摯に傾ける、生きる姿勢、
そして時として襲う混乱の時代、人生の岐路の中でも音に向かい続ける
そんな人々に囲まれ今日があると言うこと


CDの内容は
フレスコバルディー、マルチェロ、ヴェラチーニ、バッハ
ほぼバッハと同年代のイタリア音楽家によるプログラムだ

なんだろう....この時代の音楽は美しい悲しみの旋律、対極に...異様に太陽光が入る明るい旋律
そして
どこまでも限りなく
「敬虔」であるのだ

真摯に神と向き合う態度、そして霊的に奏でることへと通ずるのだろう

さて、今日もピアノに向かおう


2010年1月4日月曜日

雪よりも



ヒソプの杖でわたしの罪を払って下さい
わたしが清くなるように。
わたしを洗ってください
        雪よりも白くなるように。  (詩編51.9)





無事にパリへ戻りました。
多く人に逢わず、多く語るにまだ早く
年の終わりとはじめがありました

いままで、散々と死守してきたことが
崩れ始め
自分よがりの悲しみや、自分よがりの幸せを捨て
奈落から
白い雪歌をうたえる小鳥になるように
私の人生も過ぎてゆくならば

答えがそこにあった冬です
凍てつきを覚える季節ではなく

温もりを知った寒さでした


2010年1月1日金曜日

助け舟


今、18歳まで過ごしていた自分の部屋から
ただただ
真白な雪景色とその「音」たちが聴こえます

遥々どこか遠くへ
そして遥々どこか彼方へ戻って来た感じです


上記のこととは関係ないけれど
....例えば
自分の作品や、自分の大切な人、ものに関して、もしくは自分に対して
あれやこれや批評、文句、批判、憎しみが有ったとしても
私は残念ながら
自分にとってそういうものは、全て無意味で無駄な物と思っています
それは、自分は自分を貫いているからで
揺らがないからです

だから人に嫉妬もしない


この家をあともう少しで出ますが
よい意味でも悪い意味でも子供時代から
地獄に溺れさせて頂き、
「己の周りは師だ」とえぐられるように心に掘った場所です


何年か前に
私は自分の後ろにあった、助け舟を全て焼いてしまいました

それは一人で過去の日記帳を焼いてしまうよりも
孤独な作業だったと思います

けれども、人を思いやり、真剣に自分らしく生きていく、または
根本にある妥協せずに生きていきたかったからでしょう


助け舟、たまにはいいのかもしれなせんね
でも私は本当に大切なものや人だけでいいと思います
助け舟と言うよりも

きっと、柔らかくて暖かいものです