2009年9月15日火曜日

マエストロ

                    1950年代....先生が30代の頃のブロマイド写真

                   この白髪の方が今の先生...美しい青灰色の瞳


いい男シリーズ2回目は(ただ単に自分の師匠たちを紹介しているシリーズ)
昨日、2ヶ月半ぶりに逢ったピアノの師匠
アティ(ハンガリー名 アティラ)レンギエル先生です

現在86歳、現役ピアニスト、15年以上同じプジョーに乗り
絶対口からパイポを離さない...豪快に喜び、豪快に怒るマエストロです

もう7年くらいのお付き合いです
あまりに出来の悪い弟子(私)をとことん可愛がってくれます

初めてレッスンを受けた時
「君、何か今日は弾いてくれるのだよね?」
ある程度のレベルの奏者は暗譜で自分の得意曲を弾いて...レベルと個性を見てもらう
「すみません...私、3年ほどピアノから離れていて...今、何にも弾けないんです..」

恥ずかしながらも正直に答えた私はドレミファ...のスケール指使いさえ
忘れて弾けなくなっていました
それから半年間....毎日6時間、メトロノームが恋人で
12音階のスケールのみの練習を指示されたのは過言ではありませんでした

時に、バナナの皮や、ファンタの空ボトルが頭に飛んで来て
訳がわからない位、どなり散らされた時もありました
上手く弾けないと...さようならの握手もしてくれない
仕舞には君との時間は僕には必要ない!なんて言われる

自分で言うのもなんですが
私は褒められて伸びるタイプではないので、慣れていると言えば慣れているけれど
流石に至極厳し過ぎて...やめようと悩んだ時がありました
(練習がきついのではなく、先生がスパルタ?に近かったことから)

でも、やめませんでした
今の弾き語りのピアノテクニックもレンギエル先生についていなければ
無かったに等しいものです

先生....
ハンガリー人でピアニストの登竜門「フランツ リスト コンクール」で
戦前に第1位を取り、デビューコンサートには1万人が駆けつけ入りきらなかったそう...
でも、すぐ戦争が始まり先生は戦場へ行き...負傷しながらも生きて
戦後、パリでピアニストとして風靡した方です

世界的チェリストのカザルス(お茶の水にカザルスホールと言うホールがあります)が
認めて応援した、BBCなどでも演奏をしたり、
作曲家マルタン、メシアン、バルトーク、コダーイが賞賛したピアニスト...

今は
ファンタとバナナをムシャムシャ食べて....小さな音楽学校で教えている
年に1度のレコーディングや複数のコンサートもかかさない

私は....自分に厳しい人が好きです
飴と鞭ではないけれど...

時々...「食べるものが無い時は家に来なさい」と心配してくれます

そして先生は沢山の素敵な言葉をプレゼントしてくれました
私が昔、悲しみに沈んで全くピアノが弾けなくなっていた時に
「Tournez la page dans votre coeur」

「生きる上で、あなたの心のページをめくりなさい」

私はこの先生に出逢えた音楽人生を
ずっとずっと感謝し、これからも慕い続け

「音(自分)」を探してゆくのだと....思います