2010年9月22日水曜日

旅のある日


小高い丘にある古びたガレージで地元のマダムが花を売っていた
この風景が好きだ


2010年9月21日火曜日

悲しみを見つめて


最近、いつか死の時期が来たら
この世に愛想を着いた顔で息を引き取りたいものだと思った
それくらいこの世でこれから生きてみたいものだ

無論
世俗に関わらねば...一応人間なので生きてゆけぬが
ある一線からは、それて生きていきたい
関わりたくない生き方がある

悲しみよ
ありがとう

悲しみを蝋燭と蜂が
私と一緒に見つめているのだ


友達のミツバチとクマンバチは何処へ行ってしまったのだろう


2010年9月16日木曜日

シャガール





                   夜は絵の中の住人になる、それが私の心の宿だ



砂漠の船



雪の中の列車は
私を砂漠と空漠と言う駅に
置いて行ってしまった

そういう日はいつだったっけ

えんぴつをくわえて、秋の実を拾いにいこう

口笛にならない嘘の口笛を吹いて

ひとりで行進する

秋のマーチを私は知っている

砂漠の船は、今は砂漠を航海するが、本当は海を航海していた想い出を持っている


優しいメロディーは

もう誰も座らぬ椅子のようだ

人生工事中


最近、非常に尋常以上に考えごとをしている

それに付け加えてピアノの生徒さん達から
本格的にソルフェージュや音楽学理を教えて欲しいと滅相もないことを言われて
数学的に日本の楽典と数え方が違うフランスの方式を1から復習
得意分野な筈だが....全てフランス語で説明するのであり....文法も復習

一番...勉強に励んでいるのは自分か...と皮肉になりつつ
人生、何歳からでも勉強、復習

知ったかぶりをしていることは、とてつもなく格好悪いことだ

厭、全然...知ったかぶりでは無いが....
頭の中で多くの音楽様式を分かっていても、「日本語」で解釈しているので
フランス語で根っからを説明するのは非常に難解なことだ

何ごとも初めが肝心だ


(私の言葉ではないが)....人生はいつも工事中だ

人間関係、家族関係、音楽学式、地上世俗関係

滔々、神経症に悩まされる
朝起きると左手が痺れてガッチリ固まり、顔も動かない

最近は....レンヌの大聖堂にあるシャガールのステンドグラスのレプリカに
蝋燭を灯して眺めるのが好きな時間だ


人生、工事中
また明日も工事を始めようか


この憂い世から逃れるために
メンデルスゾーンのピアノコンチェルトのスコアと対面して
楽曲分析をしている時が幸せだ

小さな幸せがここにある

2010年9月12日日曜日

シャンソン歌手 荒木陽一さん



昨日、3年振りにシャンソン歌手の荒木陽一さんに御逢いした

荒木さんとは以前、日本のシャンソンコンクールの全国大会で御逢いし
それ以前に私のこちらでのシャンソンの師Michel BERGAMの長年のご友人でもあり
3年前にMichelが日本でのコンサートを全てオーガナイズされた方でもある

そして私の中で日本人シャンソン歌手では数少ない...どこまでも深い歌手と感じる方だ

サンラザール駅で待ち合わせをし
その後、転々とキャフェやバーをハシゴして
静かに口数の少ない荒木さんから流れて来る言葉と共に
秋の夜が流れていった

自分自身、ハッとさせられること、反省すること、音楽のこと、生き方のこと
一緒にお話をしていて良い意味で動揺し、黙ってうなずける...小さな時間

荒木さんは高い夜闇の彼方にチカチカ輝く星のような
静かにもどこか強い柔らかい光を放つ人に感じた

新しいCDをプレゼントして下さり....嬉しくウキウキした
見えない涙色と、流れ逝く喜びと
荒木さんの語るギターの音色はどこまでも心の高みに上がっていくように
優しく突き刺さる



今までパリで何人もの「日本人シャンソン歌手」に逢った
しかしその時間は忘れたいような時間だった
荒木さんは自分にとり、忘れられないシャンソン歌手だ

是非、日本でのライブにお伺いしたい

A ma maniere(私のやり方で)
荒木さんの新しいCDのタイトル....いいな...と思った

そして
どんなことがあっても、1度の人生だから
楽しくやって生きたい....目に見えない言葉のプレゼントを頂いた

荒木さん、素敵な夜をどうも有難うございました


写真を撮らせて下さい、とお願いした時
「自分は、非ヴィジュアル系だから」と少しハニカミながら言った彼が
どこかパリの夜にずっと前から住んでいるように感じた



荒木さんのホームページ
http://web.me.com/makoto6stb/youichi_araki/bien_venu.html

2010年9月11日土曜日

みな、違う


色々な人生があって当たり前なのだから、と強く思います

小さい頃からの3つのタブー
それは余程親しくない限り「信念(無信仰、信仰など)、家族、政治」のことは話さないのが
その人に対してのエチケットだと言われました
その人が信じるもの、望むものや、家族構成、家庭の事情、価値観
全部、皆違うのです

だから恰も「当たり前」の様に
この思考は良くない、宗教は悪い、何教は悪い、家族そろっていることが当たり前、と
言葉やブログで綴る現場に以前から疑問を感じています
もしそのように言っているつもりは意識的になくても
そう受け取ってしまう可能性も無きにしろあらず

ブログとはその人自身の現場、世界、表現の自由の所謂「なんでもあり」の
良くも悪くもの解放地帯なのでしょうが
頭ごなしに
「これがいい、こうしたほうがいい、あれはだめだ、あれを食べては、信じては駄目だ、あの人はいい....など」
と言うものを押し付けられることほど不快に思うこの数年です

よく私は「〜せよ」と使いますが、それは自分に対しての言葉として使用しています

ようは何が言いたいかと言うと
押し付けがましい、その人の、誰かの価値観を人に押し付ける会話、文章、ブログからも
離れたくいます

普段、パソコンをあまり利用しない私が言うのもなんですが
利用しなくなったのも、自分には必要がないと察したからです

この先、更に「情報」が増え、膨らみゆく世界に身を於くよりは
気に入っている本、偉大な本、散歩をしていた方がいいや、と私は思っています。

逢ったこともないのに、非難中傷、あり得ないこと、をおかしく楽しく書く人や
上記のように....宗教、家族、政治について自分の軸、芯をひとに押し付ける様なもの
私はとても厭で苦痛です

故、私はそういうことをここの場で強く書くことは以前から控えさせてもらっています

人それぞれの生き方があり、価値観があり、善し悪しも「皆、違います」

自分にとり「宗教、家族、政治」のことは本当のプライヴェートにするのが
自分の生き方だと思い、日びを送っています

だから
そのことを根から遠回しにでも表現し(これは自由ですし、良いことだと思います)
それを人に「押し付けること」をしている人に対しては離れました

みな、十人十色です
読んでいる側に、聞く側に、そういう「配慮」をすることが礼儀だと思います

中国人だと思ったら日本人だった
キリスト教だと思ったらユダヤ教だった、無神論者だった

人が傷つき、不快に、喜び、快活に思う「節」という感受が違うこと
歴史や文化、生きて来た背景が違うこと
もっと考えた方がいいのだと思います

本当はみな、丸く仲良くなれたらいいのだと思います

しかし、心の中で何かを差別したり、人を憎んだり、決めつけている間は
溝と隔たりばかりなのでしょうね

最近、特に強く思うことでした



写真 マーグ財団美術館にて
ジャコメッティーの「le chat(猫)」の前
面白い写真だと思います
ひとつの作品の前で3人の人達
みな、違いますから

写真を撮る子供、見守るマダム、デッサンする若者、それを撮る私
同じ方向を観ていても、やっていることと視線が全部違う

老生、君よ紅逆に


月夜を散らし、真昼を散らし、真白を散らし
私は歩く

尋常の暮れで
笑みを耕し
明日を知敏

己の波に
夕陽を祈祷し

弱さを智慧とし
昨日を捨て無論非とせず

点があり
点を飲め

定めの雪情に
血を葬れ

笑みと悲しみを支配とし
翌朝
身奇草の露と共に
生きよ

この世身は最後で最期
知れて幸い
知れて砂丘の友とせよ
海底闇の鼓動を
己の生息とせよ

生きるものは
たやすくない

葬列を造れ
真承の終わった日びに

これからの
月暮れの麼光の紅逆の故に


私はこと色々な気持ちを
いづれ
書作品として発表したいと思う



写真 好きなものに囲まれて
...日本語で言う自分撮りってものですか

2010年9月3日金曜日

ひとり




眺めるのは
ひとり

夕陽に悲しかったことは掛けて
また明日は歩いて
風のマントと共に

でくのぼう

ルノワールの庭で






誰もいない
ルノワールの庭で寝そべっていた
ユーカリとオリーブの木と名前の知らない花の中で
ルノワールと彼の若くして亡くなった妻アリーヌを思っていた

ルノワールの家の中に飾られている
そこから見える森の向こうにある海を描いた作品

その先には今
高層ビルの向こうにある海が見えた

たった100年近く

色から声がするので時々私は立ち止まる

木陰で寝転んでいると.....渇いた暑い風が吹く中
大きなユーカリの木を小さなカタツムリが登っていた

「ねぇねぇ、君、どこまで上がるの?」

「....」

きっと彼は登りたいから登り、上がりたい所まで上がるのだろう

我ら人間よりも強いではないか

「頑張れ...」

そういって木陰の歌を口笛するのだ

旅の友
風、虫、チョウチョ、カタツムリ、犬、猫、カーテン、星、精霊 色々

もう、答えは出ている






先日、シャガール終焉の地St-Paul村を尋ねた時、現地で心が向いた店があった
観光客も多いのにその店はひっそりしている
2度通りすがり、それでもやはり入ってみようと思った「何か」があった

南仏の民族衣装や少しのアンティークものを置いている静かな半地下の店
奥に少しお年を召したマダムが微笑みながら座っていた

何故かその空気が好きで、私も椅子に腰掛けて一緒に話しましょうとなった
自分が音楽家であること、パリから来たこと、オリジナルは日本人であること
そのようなことを踏まえてマダムは当時を想うように言った

「近所に住む親戚の娘がプロフェッショナルのオルガニストでね
それはもう、素晴らしい音楽家だったわ。
パリのノートルダム寺院でもオルガン演奏をしたのよ。でも若くして天国へ行ってしまった
本当に素敵な音楽家だったのよ。」
と少しはにかんで懐かしく話していた

私は...
「芸術を志して生きることは命を駆使することと共に....喜びと共に...
でも、生きて行くのは難しい、難しいです...」と答えた

その時、彼女は言った

「...でも?それでもあなたは音楽を続けて生きていきたいのでしょう」

「そうです」

「いくら難しくても、音楽を続けてゆくのが...あなたの夢なのでしょう?」

「そうです」

「そうよ、もう答えは出ているじゃない...それでいいのよ。自分でわかっているのだから」

そう言ってマダムは優しく微笑んだ


その後...シャガールのお墓と美術館に最後に行こうと思っていると告げると
私の義理の弟に車を出させてあげるから...遠いし、この炎天下の中では辛いでしょ...と
そんな心温まる手配をしてくれたのだ
見ず知らずの私なのに...

彼女はリリアンヌと言った
彼女の店で私は1920年のアールデコのコンパクト鏡を購入した
もう金で描かれたスズランが消えかかっていたが
リリアンヌのことを忘れたくなく想い出にと思った

帰り道...シャガールが描いた絵と同じ風景があった

風の音と眺めて
私の夏の旅が終わった


ピアノ、身体の奥






今回、夏の間と丸2日を掛けてピアノの内部の最終調整と修理を
「PIANOS BALLERON」の明子さん、シルヴィーさんにして頂いた
彼女はパリでも少なくなってしまった戦前のピアノ修復や調律をしてくれる
アトリエで職人をする日本人の友人だ(詳細は右のリンクからどうぞ)

ピアニストは(私も含めて)ピアノの内部構造をよくよく存じる機会が
よっぽどの機会が無い限り難しく
中にはそういうものに興味を示さない音楽家も多くいる。

当たり前のように、ピアノの前に座って弾くことが日常であるのに
今回、明子さんが鍵盤の1つ1つを丁寧に直して下さったものが無ければ
ピアノは根っから動くことが不可能である。
しかし、知らずとも生きてゆけるが....私は自分のピアノの身体をもっともっと
知りたい、知らなければいけないと感じだ。
要は無知な自分をしる機会になった

ピアノを当たり前に弾く
その裏では職人さんが1つ1つ手で時間を掛けて...
ピアノの身体を治療して修復してくれるからこそピアニストの音に命が生まれる元水が湧く

明子さんとお話していた時
音楽学校でも、ただ演奏や技法に力を入れるだけではなく
ピアノの構造を勉強する時間もあったらいいのに、と言うこと

そして以前もこちらで活躍するピアニストの方が
何故、音楽学校では姿勢法、呼吸法を取り入れた授業が無いのか、
という話になったことがある

今回、丸2日...ピアノの内部に向われる真摯な明子さんの姿を見ては
「自分は子供の頃からピアノをやって来たといえども
本当は何にも知らずに来てしまったのだ」とつくづく心に刺さった

ピアノは通常88鍵、その1つの鍵に対して8つの調整段階があるので
調整で最低704回は鍵盤に向うのである....

今回70年以上振りにピアノの身体の内部を修復して頂いた

ピアノも喜んでいるのだろうな...

戦前生まれ、そして私が引っ越すアパルトマンは常に湿気が多くカビだらけ
極めつけに3年前に天上が裂けて水漏れがあり、当時パリを1ヶ月不在にしていたこともあり
私のピアノは本当のオンボロピアノになってしまっていた

ピアノを弾く私はそれでも24歳くらいまで自分のピアノを持ったことがなかった
祖母のものであって気兼ねをして練習していた子供時代
レンタルで借りていた音大生時代

このピアノが私にとって唯一だった

あの時、家に足を入れた途端...ピアノはカビで真っ白、カーペットにコケと虫が沸き
楽譜も水で痛んでしまい呆然として立ち尽くした

あれから3年、私のザイラーは元気になってくれた
私よりも色々な時代を見て、戦時中も生きてきたピアノ

明日からまた新しい気持ちで2010年にザイラーと向き合うことが出来る
これからもよろしく

1つ1つを大切に修復して温かい笑顔で運んで下さったシルヴィーさんと明子さんに
心から感謝を

Je remercie beaucoup .... Sylvie et Akiko du fond du coeur....!

2010年9月1日水曜日

ザイラーとミロンガ



明日、ヴァカンスの間に修理をお願いしていたピアノと
ネコのミロンガが帰って来る

私のピアノ
ザイラー.....
古き良き時代のドイツの音がする

職人さんというお医者さんから治療を受けて帰って来る
首を長くして待っていた

こんなに嬉しい日は無い

ピアノと猫

また明日から私のパリ生活

10年経った秋を送れる日びに感謝

これからも彼らに優しい眼差しを
豊かな心色を妥協無く注いで冒険を続けたい

http://blogs.yahoo.co.jp/achakiko/60211845.html

(修理を終えた後のピアノ)