2015年6月15日月曜日

娘との時間 芸術家として血に流す




























(RIESLINGは最近のものですと2010年ものがオススメです^^
実家のお隣の高橋晶先生(東北では言わずと知れた音楽教育家(特に声楽、ピアノ)の
大御所の先生) 宅でドイツからのRIESLINGを先日御馳走になり...感激でした!)



2歳の娘と今夜は
彼女が好きなイタリアのオリーブと薄味のチーズで
乾杯します

納豆も海苔も梅干しも、大好きな彼女
フランスパンも、オリーブオイルも、オリーブもチーズも
パテ ドゥ カンパーニュも大好きな彼女

私よりもフランス国籍が取りやすい彼女

三分の2は日本語、残り1はフランス語

私が出来ることはこれくらい。

フランスのお水で人工ミルクをずっと飲んでいた彼女は
大きくなったら日本人

その後のインターナショナルをプレゼント出来るのは私
その選択を選ぶのは彼女。
















  







(先日、実家で生まれて初めて冷やし中華を食べた時のポーズ笑)











もともと音楽家と書道だけに生きてきた私は
母親になっても母親ではない気分の方が99%締めていて
娘は....それでも私のあとを

「ママ!」とヨチヨチ歩いて追いかけて来る


最近、一ヶ月で2センチも身長が伸びた


天使が天使から卒業する準備を少しずつ始めているのかしら



土曜日に彼女が歌っていたうた

「イチゴ畑で、かくれんぼ、してたーら、僕たち見つけてもらえない、

まだ青いから〜」




なんてシビアなキツい歌なのだろう笑

ある意味、私の歌っているシャンソンなぞよりも
人生の青い厳しいことを歌っているぞ...と吹き出してしまった


「ecoutes, j’aime bien cette chanson la, encore s’il tu plait encore!」

(ねえ、私そのお歌が好きだからもっと歌って)

と言うと、ずうっと歌っていました笑



かと言って時々私は不意に「岩手県南弁」も顔を出すと
娘も

「どごさ、いっだべ(探し物の対して、どこにいったかな?)」と真似をする

































土曜日の朝

いつも身につける白い手袋を丁寧に 洗っていたら

「ママと一緒にハープを弾く」と言う

時々、私に余裕がありそうな時に娘は声を掛けて来る

膝の上に娘を乗せて好きなように一緒に弾いていると

「木ちゃん、ママみたく弾きたいの、どうやって?」と言う


娘の年頃の子は、子供は
本当に何でも興味津々な季節

私も2歳半から祖母の元で書道の筆を握って遊んでいたので

そういう環境だったので、良くも悪くも
王羲之や空海や比叡山の伝教大師、大丸先生や...
中国日本の大御所の先生方の作品に触れる環境にいた

韓国の書道も素晴らしいですよ!

だから一流が何なのか、とか
そういう息づかい、流れは幼いながらに感じていたので
(もう一流とも、呼びませぬ、もっと上に呼吸をする人物の作品は
人間の造り上げた言葉や、芸術評論なぞ...出来るものではなく

人間界の表現をこえた宇宙に在り )


.....そして子供なりに
自ら書道の世界から足を洗って行った
自分なりの辛さの時期がある

(私を否定したかった大人の書道家たちもおりましたから
自分も否定したまま色々なことを葛藤のままで、
苦しいままで終わらせた時期でした)






そして最近、私はいつも思い出す


妊娠していてもお腹が大きくならずに
臨月だけお腹が大きくなったことや


それでも、大好きな赤ワインを時々飲んでいたことや

担当医のドクトルのロワールの別荘で優雅に過ごした日びを

出産直前までピアノを教えていた
ひとりの夏の終わりのパリの夕暮れを。



友人との、大切な人々との日びを。




......










最近、娘はつま先立ちや、かかとでチョビチョビ歩けるようになり

始めて出来た自らの行動に「きゃっ、きゃっ」と嬉しそうに
笑いながら何度も、何度も同じことを「見て!見て!」という

正座も出来るようになり、素敵にヌイグルミと並んで座っている




人生初めて。のこと

私たちだってあった。それを忘れていっただけ

































日曜日にペットボトルの中にガラス玉を入れて遊んだ

以前、パリでガラス細工を学んでいた時期に作った
無数のガラス玉


「わー、きれいね!とっても、きれい。」という娘。







新しいこと


そういう人生を私たちは何歳になっても
生きるということが出来ると、いうことを

忘れたくない




私も明日から、新たな世界に
真っ新な生まれ変わった気持で飛び込む

何歳になっても

きっと私は幸せだったのだと


眺めるために




私は今でも

好きな時にワインを飲むし

いづれフランスにも別荘を買うでしょうし...



心が崩れそうな日は
いつも西の太陽に、想いを掛けて

沈む美しさや儚さを
呼吸とともに

血に流します





自分らしいから

それは





























































































































































































そのうち、大きくなって大切な風船を持って
飛んでいくのだろね