2015年6月12日金曜日

芸術>音楽>(聴く)>感じる>風>無



























実家の近くにある「観自在王院」にて
風がお花を娘の髪の毛にかざってくれました













日本でコンサート活動を再開するようになり
気がついてくることがあった

昨日、いつも髪を切っていただく美容室 &Evolveの
近藤さんとお話をしていた時に

より鮮明にそのことが理解でした

近藤さんがチョイスするお店に流れる音楽は
良き古き時代のシャンソンを現代の歌手がカバーしたもの

とても心地よく、パリの風景に触れることが出来る時間です



日本でシャンソンをフランス語で歌うと

「意味がわからないから...ちょっとね」的なご意見を戴く
少なくとも何人かから

私的には???

jazzもヴォサノヴァも、「意味がわからないから...ちょっとね」と
思って聴くのかしら?
ライブで感じながら聴くのだろうか?

どうして「日本のシャンソン」はこうなってしまったのだろうか。

(どうしてかは、存じていますが敢えて今は語りません)




実は音大生の頃、弾き語りの課題がある授業があり
私は「枯葉」を弾き語りに選んで弾いた
(何故ならjazzのオータムリーヴスが好きだったから)

しかし、あまりにベタベタな日本語の恥ずかしい歌詞に
ビブラート満載のお手本CDを聴き

「なんてこった!こんなの歌って、弾いてられるか...
もう二度とシャンソンなんて歌うもんじゃない」と思ったのだった




私的にはシャンソンは、jazzやロックやファド...メタル、フュージョンと同じ

鼓動を「感じるもの」だと思っている

音楽って本来そういうものでしょう?



以前、都内の老舗シャンソニエで飛び入りで歌わせて戴いた時に
フランスにも行ったこともないシャンソンかぶれの方に

「あなたのフランス語の発音が変」
「伴奏も好き勝手」
「生意気」

好き放題言われたことがあるのですが

もう二度とそんなガチガチに固まったシャンソン歌手やピアニストの前で
弾き歌わない、と決めた

コンクールの時も、オーディションの時も
みんな嫉妬の塊。


日本はフランス語で歌う歌手が少ないし
歌詞の意味も分からず、つまらなくなってしまうので
需要と供給がない、とまで言われる


そしてどうしてフランス語でシャンソンを歌うのですか?と
笑ってしまうくらいのご質問を戴くことがある


ただ単に私は「そう歌いたいから」

付け加えれば
元々の土地で、民衆が喜びも悲しみも苦しみも
その土地の原語での特有な、美しい「韻」 を踏みながら出来上がって行った歌

それを大切に
流れるままに、流れるままに歌いたいから

流石にパリに行きたての頃はフランス語や発音に四苦八苦した
それを今、流暢に歌えるのは
やはり「そう、フランス語の美しさの中で歌いたかったから」

(それは何故私がフランスに渡ったか、というお話にいづれ
綴ります)

エディット ピアフの時代の発音と現代のフランス語の
発音の流行も違うから

それを粋に遊びながら歌い替えるのも楽しみのひとつ。


そして日本の童謡も、民謡も、演歌も歌曲も好きですよ

美しい日本語が生きて素晴らしいから
母国の言葉は世界中での共通語ではないからこそ

奇異で、貴重で、繊細で、危ういくらい美しいと思うから。


シャンソンを日本語で歌うくらいだったら
日本歌曲を粋に歌い上げる方がしっくり、幸せだと思う

だから今後も私はシャンソンはフランス語で
当たり前に歌います



オペラなぞはひとつのストーリーで長時間なので
あらすじをご自分で調べてから足を運んでみられたり
楽しむためにヨーロッパの言語を学ばれるのも

ひとつの楽しみだと思います
(無論、日本語に訳されたオペラも沢山ありますね)



私はシャンソンのピアノ伴奏も、自作曲のピアノ伴奏も
すべてサラッと即興で作ってしまうので(その後は多少練ります)

そういう感じでライブやコンサートをするのが好きです


重い歌詞や、激しいものも、ありますが
それも聴く、というよりは

「感じて」

その方が、音楽らしいです

芸術です



そもそも、


芸術>音楽>聴く>感じる>風>無

と私は思っていて


音楽は手に取って触れることが出来ない「瞬間芸術」です



そこに「歌詞がわからないから」という想いは
よりご自分の感受性を複雑に遠いものにしていると思います

(私のライブの場合は歌う前に日本語での説明を入れていますが
説明をしてもそう仰る方がいます)



極論をいえば、フンフン、と感じて流して楽しく過ごして欲しい

だって民族音楽やジプシー音楽や...生け贄の黒ミサの語り?に

「意味がわからないから、ちょっとね」とは言わないでしょ笑




無論、日本には日本語でシャンソンを歌われる素敵な方々がいるのも
存じているので一概に良いも、悪いも、ないです

ただ自分はそういう歌手ではないというだけのことよね


いつも心柔らかく、いたいですね

強いていうならばフランスにいた時のように
ピアノを練習する時間をもっともっと作りたい

より自分らしく自由な環境で生きたいという願望は変わらない


だから、そうなるよう歩き続けることを信じます



ちなみに&Evolveの近藤さんは
日本語(歌詞)もあまり意識しないで音楽を聴く、と

仰っていたので、嗚呼、なるほど....と思いました


歌詞を気にせずに聴く「うた」はいいですね^^




波の音、川の音、今日の風の音

涙の垂れた跡

笑い終わった余韻

残り香

残像

血潮

そして

まなざし




























岩手県花巻市「高村光太郎」記念館