2013年1月24日木曜日

忘れたくないひと





















この日記は6年ほど前にmixiで綴ったものです




12月、パリ市内でピアノ弾き語りのライブをした時のこと、




もう逢えないけれど
忘れたくないひと


 ..........



沢山いるけれど、今日はその中のお一人をご紹介します








その方の名前は「タハラ」さんといいます....。


土曜日のライブ前、オーナーさんから
「ミオさん、日本の「ふるさと」歌えますか?」

と言われて、日本の伝統的な歌も1つ歌おうと思い丁度用意していたので
「ええ、歌います。」

その「ふるさと」を歌っていたら....



しくしく泣く声が....
そしてサビの部分「忘れがたき~ふるさと」のことろで
一緒に日本語で歌っている声がどこから....ともなく聞こえてきました。

この間日記でご紹介したLa java bleueも最後に歌ったら
もう、みなノリノリで....ライブを終えることが出来たのですが....



ライブ後
オーナーさんが「田原さんと言う女性がお待ちです。」

楽屋を出てきょろきょろ、その方がいるという場所へ行っても見当たらない
......そうしたら目の前の小さなフランス人のおばあさんが
「私が田原です。」
「??」
「田原M子と申します。」



よくお話を聞いたら....日本へ嫁いだ女性だったのです。
多分70代くらいで白髪をかわいいポニーテールに結んでいました。

最近は日本人の旦那さんとパリで暮らすようになり
今回、興味を持って下さってライブに来てくれたようです....。


「私は、自分の子供のために日本の童謡を沢山覚えました。
 赤とんぼも、ちょうちょも、鯉のぼりも....今でも歌います。
 でも、ふるさとが一番好きで....日本を思い出して涙がでました。」


流暢な日本語で話して下さいました。



田原さんは....今度大好きな旦那さんを私に紹介したい...と連絡先を
教えて下さいました。

若かりし頃に、国を離れ日本へ嫁いで
日本用に名前も変えたのだとか.....。


私は田原さんの瞳の奥がとっても深くて優しいくて
強い、いいやもう....通りこして今、穏やかに自国にいるのだなぁ....と思いました。


素敵な女性でした。



私は子供はいませんが、もしいつかそういうチャンスがあれば
彼女のように歌でも....歌ってあげたいな....。




パリは昼までもマイナス3,4度になりました。寒いです。。





ふるさと   

うさぎ追いし かの山
こぶな釣りし かの川
夢は今も巡りて.....忘れがたき ふるさと

いかにいます 父母
つつがなしや 友がき
雨に風につけても 想いいづる....ふるさと

こころざしをはたして
いつの日にか 帰らん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと














2013年1月19日土曜日

雪の中の結婚式





















そう、とても美しい冬の夕方に

それはもう彼女らしくてシンプルで粋な結婚式

私は友人として、そして証人として参加させて頂きました

彼女はHarunaちゃんと言ってパリでも同い年の長いお友達

友達が少ない自分にとって本当の友達



彼女は類希なる
ビジューデザイナー、アーティストです

彼女が紡ぐ世界は彼女だけの唯一のものであり
目と心に突き刺さるほどに

私は彼女を尊敬しています



よく夜遅いキャフェで語り合ったり、笑い合ったり、泣いたり
していたものです

もうすぐ彼女もマモンになるのです

世界で活躍する旦那さんで素晴らしいカメラマンのジョンも
いつも楽しいワインの時間をプレゼントしてくれます





小さな美しい結婚式

その後はパレロワイヤルのお庭で美味しいシャンパンを飲み合いました




なんだろう、静かなチロチロ雪が舞う日

心の中で、チロチロいつも鬼火のように
それはとてもとても温かいロウソクの炎のように

ずっとずっと感動をしました



はっきり言って
彼女も私もこのパリで塩酸をなめるほど
とことん生きて来ました

それでも
パリを
愛し続けてきた




だから
泣きもせず
大声で笑いもせず



じっと彼女の結婚式を見つめ

彼女の笑顔をみることが

私は本当に、本当に

幸せだったのです




 Harunaちゃん、本当におめでとう





Toutes mes felicitations pour ton mariage et
je te souhaite tout le bonheur possible a ses cotes.

Amitie.






































































































2013年1月6日日曜日

自分的日曜日




























少しの自分の時間

でも
全部、自分の時間


昨日、娘が熱を上げて
テンテコマイの私でした

今朝
ムズムズするのです

足が...身体が、ムズムズする

そうそう、アパルトマン内で急ぎ足でペタンコバブーシュを履いていたので
すごくハイヒールが履きたくなりました

背筋も心も全てぴーんとなる


これもモデルでウォーキングサロン「Asami-Paris-」主宰のAsamiさんの影響です

Asamiさんとは1月1日に
息子さんのピーターくんと私の娘と4人で楽しいプチット フェットをしました

 一年の初めから
素晴らしい方と楽しく過ごせる始まりは
本当に嬉しい年始になりました^^


Asamiさんの生き方や思いに
私は共鳴するので


その空気や余韻とは
その後一年に香を運ぶと思いますし

大きくは「流れも」作ると思います


いくら日曜日の安息日でも
私は自分らしく「ぴーん」と していたい


ハイヒールを履いて
マリアージュフレールのお紅茶をいただいて
彼女(娘)が目覚めるまでハープやピアノに向かいます





支えてくれる全ての人々に感謝を込めて






初めてテレビを見るの巻

2013年1月5日土曜日

最後の言い訳

何週間か前から徳永英明の「夢を信じて」が時々からだの中を流れていたのだけど

なんでだろう...と思っていた不思議な気持ちがわかった




中学時代の友人から
昨日
なんだか...温かい話を聞いた





わたしのことを覚えていてくれてありがとう
フランスで やっていますよ

またいつか笑顔で逢おう

なんだか声まで思い出しましたよ





もしこのブログを見てくれていたら
伝えたい言葉です


その時代時代に大切な時間と人々がいますが
時を越えても
どこかでそのまま

歳を重ねて
みんな環境が変わっても


とても大切な思いだったから
ブログに綴りました






やっと時間が出来て夜更けに
youtubeで徳永英明を本当に久々に聴きました


夢を信じて、壊れかけのRadio、最後の言い訳



何だか随分ぶりに泣けて来た



音楽をやっている自分が言うのもなんだれど

やはり聴いていた時代の残像と風を
少し優しく
今の自分への贈り物として運んでくれる



それが
たとえ、何十年過ぎてしまったとしても







また明日からやっていくか