2011年4月11日月曜日

呼んだ森が



一昨日、目が覚めたらショスタコーヴィッチの交響曲第10番4楽章が頭の中で鳴っていた
大音量でハチャトゥーリアンやショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲や交響曲を聴く

先々週から台所とお風呂場のブレーカーが壊れ、昨年同様、料理とシャワーをしていない
第10番を聞きながら真水で髪の毛を洗いながら
「ああ、彼(ショスタコーヴィッチ)は、知っていたんだ...」とつくづく感じた

煙草を少し吸って玄関から見える青空を見て
「ああ、知っていたんだ...だから」と尚更感じた

宇宙の組織のこと

スターリンの時代、書きたくなくても書かなければならなかった作品
大観衆や政府が手放しに絶賛した舞台裏で
彼は屈辱のあまり咽せて嗚咽を漏らして泣いていた

それでも暗黒の時代から自分への解放がどこか第10番の最終楽章に堂々と描かれている


私は何を書きたいのかな



そうそう、髪の毛を洗ってから
「森が呼んでいる」ので久々にひとり森へ

葉影、水影に
どこか遠い思い出をキラキラみました

本当はいますぐにでも、少しでも手伝いに行きたいのにな

....だから今は
またピアノに向かおうと思います

完璧にそれしかないから

いい意味で




ショスタコーヴィッチ交響曲第10番最終楽章
ロマン派など好きな人や一般クラシックがお好きな方は
好き嫌いがハッキリ別れると思いますが
彼の全作品は私にとり限りない威厳と人生を教えてくれる
かけがえのないものです
自分の人生において彼を越えうる作曲家はいないと思います

彼の作品の多くが
どこまでも暗くて重い
しかし与えてくれるのは

喜びである

何故なら彼は知っていたんだなと思う