2011年4月5日火曜日

海さ


震災直後もずっとそのままピアノやハープのレッスンを受け
いつも通りにピアノの生徒さんへのレッスンも続けて来た

当たり前かもしれない
私はフランスに住んでいる
でも、周りのこちらの友達や知り合いは気を使ってくれて...本当に心配してくれた

金曜日はピアノ演奏をしてメンデルスゾーンとメシアンをこなした

今、パリでも日本の多くのアーティストや色々な方がチャリティーをしている
私も地元の海のこと、津波地震を語りながら歌ってほしいと言われたが
断った

理由は、ただ簡単で大して何も考えていなく
軽い気持ちでそうやってくれるだろうと思っていたようだ
あまりにデリカシーの無い主旨のわからないものは
いくらチャリティーでも参加はしない

岩手や宮城、福島にいる身内、友達、知り合いの安否確認だけで
毎日精一杯だった
1日1度は泣いていた

そしてピアノ演奏での精神的な自分を保つことだけ
やはり楽しみにしてくれる人々がいるから



周りに東北弁で話せる人がいなかったことが辛かった


多くの消えていった命に敬意をはらい
今後、自分が起こすであろう行動を今は水面下で考える

そして今、元気で生活が「通常」で有る方は自粛せずに経済を回して欲しい
もし出来るならば
東北産のお菓子、お酒、などでも気分転換や花見で
一品でいいので楽しみで頂いて欲しい




高校の頃、朝早く「行って来ます」と言っては
盛岡方面の電車に乗らず....ひとり松島行きの鈍行列車に乗った

そして何年か前の夏、岩手に帰った時
「ミオ、海さ、海さ、行ぐべ!」と友人が誘ってくれた

「んだな、海さ」

それが最後になった最寄りの海、気仙沼


今年の夏も「行ぐがな、海さ」

そこにもう知っている風景が無くても
私は行こうと思う


懐かしい
海さ