2016年6月18日土曜日

6月17日天王洲アイル コンサートを終えて 蛾の人生 1



















湿気を孕む(はらむ)この季節は

いつの日かを思い出す。

だがしかし

その行方は、その時代の私と違い

雑草をかき分け

心地よい
山や海や草熱れの馨をふくみ

昔の自分とはかけ離れて

進化を許し、好み、目の前の命を仰ぐ。



絶望讃歌を歌い新興宗教に溺れた信者を演じ

蛾の人生を一番に愛し

そこにこの世に生きる術を語り

ジプシーに姿う。

心美しき

心狭き

心砕け

千切られた

漆黒の中には

光しか無い

というのはあまりに簡単に聴こえてしまうではないか。


とても複雑な人間であるのである私は

とても単純な人間であり

この世で驚くことも

あまりない。

火のように熱く

土のように冷めた人間(ひと)であるべきだと

私のことを私は思っている。


涼やかな風を感じては

笑顔を思ふ。

現在

出逢っているだろう人々の笑顔を思うのだ。

苦しんでいる顔は思わない。

良く会っている人も

まだ逢っていない人も

コンサートに来て下さった方も

そうではなく

いつも静かに見守ってくれる人をも。



私はフランスで南米の蝶や、世界の蛾に想いを馳せ

標本を採集しました

世間が美しいドレスに目を奪われるのならば
同じ時期に標本屋のガラスにへばりついていいたのでした

そして音楽家以外の人生があるのなら

バレリーナか黴(かび)の研究者になりたいのです

時が過ぎ

その標本は無くなり

壊れてゆきました

今は音楽家なので

とてもそれを楽しんでいますが

ピアニストの資格をパリで取る時は

一日7時間から9時間は弾かないと間に合いませんでした。

ようは働く時間を削ってでも練習をするのです。

ピアノの下で眠っていました。

お世辞を言わないヨーロッパの人を相手に

ピアノも弾語りもやっていく日びは

凄く好きでした。

厳しいバッシングか

凄まじい祝福しかないからです。




母国で生きる時

私は歌います。

いつものように。

パリの孤児院で

引退したカトリックのシスターのシェルターで

時に名の知れぬ

馬と牛が人よりも多い農村の地平線のカフェで

昨日は東京の天王洲アイルの海時間で


決して私は美しい蝶ではなく

美しい蛾なのであります

そうしたら蛾に叱られそうなのですけれど

群れをなさずに

光を求めて

自分の翅をバサバサしている

だけど

この世の生き方も覚えた



子供の頃に

自分の顔よりも大きな蛾が

目の前に堕としていった美しい「粉」を

これからも私は見逃さない命でいたい。

それを忘れたら音楽家も人間もやるべきではないと

自分の命に、そう思います。




全てはそこから音(心臓の)が産まれ

消えて行き

また今一瞬の音が産まれて

風を感じ

はにかむのであります。









今宵はライブ後の身体に

浮かんで来る脈流を感じ綴らせて頂きます。



ご来場下さいました皆様へ

いつも応援して下さる皆様へ

限りない呼吸をこめて。







「6月17日 天王洲アイルコンサート セットアップ」

1. Overture 未来前夜 (チャイコフスキー白鳥の湖より「瀕死の白鳥」)

2.  チムチムチェリー    (メリーポピンズより)

3.    枯葉 (仏語)

4.    愛の讃歌(仏語 1946)

5.    さくらんぼの実る頃(仏語 1886)

6.    ジプシーの名も無い歌

休憩

7.    Over the rainbow (L'arc-en-ciel 1940)

8.   パリの空の下で(仏語)

9.   水門のまわりで (仏語)

10. 忘却(夜の部のみ)

11.  北の血に

12.  星に願いを(Quand on prie la bonne etoile 1940)



明日も夜遅くにですが
今回のコンサートについて綴らせて頂きます。

本当に
いつも
どうも有難うございます。








愛と
ともに。