2009年5月2日土曜日

自分のお葬式


私は死にました
と眠る前に唱えたくなりました

今日は
カエルになった気持ちで
緑の中を泳いでいました

自分の選択が正とかそうではないとか
どうでもよいのですね

本当に死ぬ時に
色々思えるのでしょう
ただし
安らかに死せる時だけであります

何年か前に
交通事故で両足を縫った時
当時
子猫だったミロンガを
カゴごと雪の上の前に投げて
自分だけが自動車にぶつかるよう
瞬時に動いた0コンマ何秒

死んだなぁと思いました

その死んだなぁって言う瞬時の気持ちと
自分の精神の「死」は全く違う

自分のお葬式をあげるのも善し
線香も自分で焚いて
過去の自分を弔うのも善し

ただ
自分の葬式をあげた侭では
都合が良過ぎると言うわけだ

この世は
お裾分けなぞしてくれないんだから


私は死にました
これからまた元気にやっていきますって
毒針的興奮を交えて
祈祷でもするがよい
悪魔的暗示
美的な不協和音を一生を費やして
探してゆくことが己の旅

だから
自分のお葬式は何度やってもいいのだ

とカエルになった気分で考えてみた