2015年6月2日火曜日

声楽のピアノ伴奏は、海辺で貝を拾うこと





























在る方にピアノ伴奏を頼まれ

突然のことだったがテノールとバリトンの間の声域...
素晴らしい方の伴奏を引き受けた




山部赤人「不じ山を望みて」

武満徹「小さな空」



この山部赤人(やまべの あかひと)は聖武天皇時代の宮廷歌人である
天平8年(736年?)の方.....

このような遥か昔の、我が日本の歌曲をピアノ伴奏するのは
初めてである

そして武満徹の声楽曲は以前より興味を持っていたので
楽譜を渡されたとき

非常に嬉しかった

(これは今後、自分のライブでも弾き語りすると決めたくらい
シンプルで、自分の心に鈴の音のように入り込んで...まどろんだ)




声楽伴奏するなぞ
何年ぶりだろう

心が踊り、小さな頃の音楽を楽しんで遊んでいた
ドキドキワクワクが蘇った

高校生、音大生の頃や、パリ時代は伴奏をバイトでよくやっていた

本当に懐かしく、心がイキイキする時間である

初見で弾きながら
どういう内容で、ブレスは、山は、リタルダンドは
どれくらいに持っていくのか...

限られた時間の中で歌い手と楽譜を読み取りながらの作業

こんなに心が躍るものはない




まるで海辺で貝殻を拾うことと同じこと
わたしにとっては


小さい頃、海に行っても泳がずに
必死に楽しんで貝殻を拾い集め

海ではない場所でも親にねだって貝殻を買ってもらった

あの気持と、ピアノは同じであり
歳を重ねても重ねても

変わらないことに至極至極
気がついた




先日の安曇野でのライブのMCで

「私はシャンソンを手放してもいいと思っている」と述べた

シャンソン歌手がそんなことを言って変なのだろうが


自分はジャズでも、ロックでも、クラシックでも、民族音楽でも
自然の音でも

自分らしく「そこに在れたら」いいのだ

シャンソンは私の小さな表現方法の一部に過ぎない

ある日、の呼吸のようなものだ




そして工場地帯からも、廃墟からも

美しさを私は見つけることが出来る

この世をすべて翻弄して
旅してどこまでも奏でることが出来るのだ


自分はどこのだれそれです、と

どこの音大を出て、どこに留学をして
こういうことを体験して

なんて
本当はプロフィールに全く書かなくとも

自分は歌と演奏だけで
勝負出来ると(当たり前だが)

表現出来ると自負出来る物語が好きだ


一切、前置きの飾りがない
ステージは眺めが良い心であろう