2012年3月4日日曜日

三月私譚



以前も載せましたが震災前の数日前の日曜日、母が浪江町(福島)の海でウォーキングの姿

今、誰もいなくなったこの街で相変わらず海は静かに波打っているのだろうと想像します




昨日、日本はお雛様の日だったのだなぁと、母がメールで教えてくれました

遠野(遠野市...カッパがいる大好きな街)の知り合いから吊るし雛を頂いたので
送ってくれる、と嬉しい話でした


フと幼少時を思いだし
私の家にはお雛様がなく、「お雛様が欲しい!欲しい!」と泣いても買ってもらえず
母が可愛い折り紙で作ってくれたりしたのだったかなと。


もうすぐ震災から1年になるのだなと思います

パリでもノートルダム寺院や、近所のトロカデロ広場で追悼式が盛大に行われるようです

....でも、私は行きません
大勢で共同で行う義務はないと思っているから

ひとりで静かに祈り、思いを点してゆきたいと今はそう感ずるのです


震災後のパリで、何人かの日本人カメラマンや...震災に関する企画者にお逢いした時
言われた事がありました

「何であなたは震災の写真を見ようとしないのか、もっと現実を受け止めて
その地域で一生懸命生きている人々と知りなさい」

「こういう現実こそ見るべきだと思うけれど」


そういう人に限って全然東北にも行った事が無い人であったりした


私?...そうですね、やはり映像や写真はあまり見れません

と言う前に現実に家族、友人、知人が被災をし
夏に岩手に帰り
色々な風景や人間模様、失われた故郷の海と命をただ無言で受け止めて過ごしました

そして岩手、宮城、福島で少なからず
一生懸命生きている友人達と相変わらず繋がっていること、笑顔でいることを思います


しかし、おかしなこともあるものですね。

ヨーロッパなどは肌の色で酷い人種差別をしますが
日本は同じ肌で同じ列島育ちなのに
福島から疎開してきた人々を差別する一部の方がいるのだとか

特に日本は「出る杭は打たれる」な呆れる文化がある
私はそういう風習に小さい頃からうんざり、落胆しているので
こういう話題を聞くと

もうノーコメントです

ありえないからね


より良くしよう、物資、援助金、確かに大切です
でも目に見えないことのケアや
弱い立場にいる人々にもっと同じ人間としての

自分がされたら嬉しいこと

自分がされたら厭なことを
敏感になるべきだ


まずは自分の隣にいる人、周りにいる人へ
思いやりを持ち続けることなのだと

そこから始まるものだと思います



最近、自分はとても遠くまで...本当に遠くまで来てしまったんだと思うことがあります


距離的なことではありません
ただ、個人的に今までの自分が終了し、新しいこれからを歩くことに関して
憂いも、よそに多くを馳せる自分がいます


色々自分の話を聞いてもらいたい人、その人たちに聞きたいことが沢山あるのに
もうこの世にはいないから
一体、どこに行ってしまったんだろう....!って


昔、母が私に小さなお雛様を作ってくれた日も
今も
風が優しくどこかへ音も無く、連れて行ってしまうのだろうって



最近、パリは曇り空で大好きです
そのことをボソッと友達に言ったら
「えー、やっぱり空は青空がいいよー」と答えたけれど


曇り空だと
赤い傘や、青いレインコートの色が一層に冴えて美しく見えるから


色んなことを考えて
よく横断歩道を渡っています