2011年11月12日土曜日
ニューオーリンズへの道(ある富豪パーティー)
パーティー後にミッシェルとゆっくり
シャンパンを飲んだ
昨日、女友達のミッシェル(シャンソンの師匠とは別)の家でパーティーがあった
総勢40名でアメリカ人のニューヨーカーだ
某富豪とその取り巻きの方々である....そして当たり前だが皆さん、英語を話す
日本人は私と某日本人の有名カメラマンのみ
英語をフランスに来てからほぼ忘れてしまった私は相変わらず人目を避けてシャンパンを飲んでいた
普段でさえも社交的では無いけれど笑顔を忘れたくない....そしてやはり英語を勉強した方が
今後の為だと思った(私はルーマニア語をもっと勉強したい)
意思の疎通が出来ないことは非常にやるせない...!
余興として弾き語りをするのが仕事だった
総勢40名の他、給仕さん、家政婦のアメリータも歌を聴いてくれた
この日は「花棺」「忘却」「La java bleue」「Autour d'une ecouluse」を歌った
夏のツアーのお陰でテンポ良く、気持ち良く歌うことが出来た
余興後、英語で色々な人々に
「アメリカでライブする気はないのか」
「CDは出ているのか」
「君はどこの国から来たのか」etc...嬉しい質問攻めを頂いたがさっぱり英語が分からず
仏語が出来るアメリカ人に全て訳してもらった
ある女性がニューオーリンズでjazzを勉強する気はないのか尋ねて来た
「あなたがニューオーリンズに来る気があれば学校や先生を手配するので
英語を少し勉強してから、いつでもいらっしゃい、jazzを勉強してみるべきよ」
そう言って名刺をくれた
彼女の母親はクラシック音楽のプロデューサーであるらしい
....ニューオーリンズ、考えたこともない街だ
実際、今までも色々な人に私の声はシャンソンよりもジャズ向きだと言われたことが多々ある
しかし私は自分の声がコンプレックスでもある
コンプレックスを逆手に取って今までやって来た
よーし、次はモロッコかルーマニアかアメリカだな(まとまりがない)
人生、なんでも挑戦だ
なんて久々に小さいけれど大きな野望?に胸が膨らんだ
そんな夜だった
余談だが....余興の後にミッシェルに「こちらへシャンパンを持っていらっしゃい」と呼ばれた
なにやらドイツ系アメリカ人の地味だが貫禄あるムッシューと話している
二人の真ん中に座り、
分からない英語をフムフム聞いていたらミッシェルが「ワオ」と言ったので
どうしたの?と尋ねたらフランス語で説明してくれた
「B.B(ブリジットバルドー)が若い時、
そう、彼女の誕生日にこのムッシューは何をしたと思う?
自家用ヘリコプターでB.Bの家の上空から何千本のバラの花びらを蒔いたんですって!
なんてファンタスティックなの!」
「......(無言)え...それで、B.Bはどう反応したの?」
「いいえ、彼女の反応なんてどうでもいいから、彼自身がただ愛を届けたかったらしいわ」
.....ある意味、あんぐりの夜だった
そして私の誕生日にも空から何かが降ってくる妄想にふけた