今夜は友人の久美子ちゃんと久々に私の家で飲む
普段、私は人を家に招かない
一人で猫といるのが好きなのだ
久美子ちゃんはパリで命をはって生きている数少ない友人だ
彼女は大学でずっとランボーを研究してる文学者だ
彼女との時間は至極楽しく豊である
それにしてもパリで生きることは....
サティーが好きな彼女の為にかけようと思うがこういう時に限ってCDが出て来ない
仕舞いにかけたのは近代派にプーランクの歌曲、アラブ民謡、ショスタコーヴィッチ
......何でもない私の趣味に走ってしまったが
彼女が御馳走してくれたモロッコワインが美味しかった
時に思うけれど
私は芸術をしながらも理数系であること
父と言う人が至極狂気数学者であったことも関係するのだろう
子供の頃を回想したくはない
それは自分にとり破壊と頽廃しかないからだ
しかしながら、当時
数字を見れば見るほど性格、個性、温かみ、冷め、色、呼吸、言葉が
各、異なる数字の次元において無限と朽ちる時間を学んだ
そして何度も話しかけていたことを思い出す
カレンダー、トイレのカレンダー、時計の秒針、誰かの歩くリズムテンポ
自分の呼吸の数、指の数、爪の伸びた長さ、
呼吸の速度、頬に手を置く時間、美しい女性の作法の秒差
爪を噛む時間、タバコを吸う時間、瞬きの回数、この世で起きる出来事を足して割った時間
サイコロの出る確率、
嘘の笑みから、実物に戻る瞬間
幼少時、私はいつも潔癖に数えていた
そして感じていた
その色と言葉、時間、音、呼吸、人に言わせれば孤独
そして今も
例えば、リストが曲の冒頭にヴィクトル ユゴーの詩を伴ったよふに
(超絶技巧練習法、その他の作品に於いても)
行く末には猫と会話をするようふに
数字が私の友達だったこと
変拍子でも、アドリブのおかしなものでも
確かな友人
私の友人
彼女が今週、戻ってきた
一年ぶりに
私の愛する女性
ジプシーの
美しい人が
きっと
ヨーロッパか北欧の血が滾る
国籍の無い
私の美しい人が....近所に戻って来た
寒い日も立っている
だから私は
彼女に捧げる
リストの「孤独の中の神の祝福」を
忘れされれても
冬の道に
私は生きるだろう
昨日と今日と明日
生きれたら
今の終焉
よろしくも
演じることに慣れてしまった
果てはどこか
厭、演じてこそ我有りか
どこか人知れず
本当は生きたいのかもしれない
でも
それも嘘かもしれない
でも
それも道化であるのかもしれない
仕舞いには
パンドラの箱に最後に残ったのは
愛ではなく
希望だったように
地元
東北に祈りと命を込めて