2009年9月29日火曜日

生きること


今日...ある人から手紙が届いた


チューブだけで生きている母の見舞いに毎日行っています
目を開けてくれる時もあるし
手を握って、力のある時もあります

生きることは...誰かが
「その人が生きてくれるから生きている」

そういうことだとつくづく思います....




その方のお手紙を読んで

私は....ずっと無言で
その方を思い....

お母様を按じ

人は

誰かのために生きるものだと

改めて....強く深く心に海のように
沁みわたった


自分の生きる意味

本当に気づいていくこと


自分の命は
誰かに

続いていること

美しい光と影




ケバブ屋さんに行ったら
ミントティーをただで御馳走してくれた
入れ物に
太陽の光が入り素敵

観葉植物を頂いた帰り
葉っぱの影も
美しかった

2009年9月24日木曜日

鉛筆削り


Pour toi, Laura,
j'ai un tout petit secret...
...un peu d'eau
et beaucoup d'amour,
voila le secret
des meilleurs jardiniers!

ローラ、君に

僕はほんの少しの秘密を持っているよ
...少しの水
そして、沢山の愛
ほら、それが秘密だよ
素敵な庭師のね


今日、近所の文房具店に用事があり
偶然見つけた鉛筆削り...
可愛い女の子がヒマワリを持って蝶が飛んでいる絵
そして上に綴った言葉が書いてありました

この言葉を読んで
複雑に...私は胸が苦しくつまり....涙が出そうになりました

素敵な言葉が書かれた鉛筆削り

秋の夜長は鉛筆を削って
もうすぐ誰かに手紙を書こうと思います....


Phantasmagoria






本当にお世話になりすぎた方のお別れ会があった
イタリア、フランスと約20年間
ヴァイオリン職人として生き、日本へ帰っていく背中を
友達と静かに見送っていた

モンマルトルでひとりでお茶をして
マダムと、双子の生徒さんにピアノを教えて帰ってきたら
玄関の前に7色の毛糸にぶら下がったヌイグルミが置かれていた

誰か私にプレゼント...?

きっと、近所のちっちゃい子が忘れていったのかな

今月、本当に親しい人々が4人もパリを離れてしまった
きっと
そういう時期なのだろう

みんな、それぞれの道

ぬいぐるみ

私に何か伝えたい...ことがあるのかしら?

夜は冷えますが、昼の秋晴れは美しいです

秋は思い出
飛行機雲
共に生きた人々との走馬灯

ファンタスマゴリア

2009年9月23日水曜日

走り書きメモ


新月の日から私は
また自分に不必要なものを整理しようと思って動き出した
最低必要限のものだけを持って生きていきたいと
いつも思うのだけど....なかなか出来ず
2年前から一人旅を始めた時と同時期に
何故かいつまでフランスにいれるか...わからないと思う様になり...

今日、物を整理していた時に破れたメモが出て来た
走り書きで記した作曲家スメタナ(我が祖国モルダウなど有名)の言葉だ
私は彼の残した言葉が好きで
この言葉を読み...いつも自分を支えていた日を思い出す
そして今もだ

メモを捨てずに自分の宝箱の中に入れた



私の音楽は十分陽気なものではありません
どうして陽気になれましょう
心おきなく作曲ができたら....どんなにいいでしょう
目の前にはいつも貧困と惨めさが、ちらついているのです
もしくは陽気な気分が消えてしまうのです
....しかし音楽は喜びに浸っていれば一時といえ
私をかくも容赦なく苦しめている全てのことを忘れられるのです
(スメタナ)


私には夢があって
いつかフランス、または日本でスメタナのピアノトリオ(ピアノ、チェロ、ヴァイオリン)を
友人を集めて演奏したいのです
夢を現実にするには
まず自分の血液を今日もまわすこと
糧に生きることから...

高揚に高揚を重ね
讃歌するように朗々と歌い上げて終わる

スメタナが紡いだ音楽は
いつもそうだったから

例え悲愴に潰されたばかりの人生だったとしても

2009年9月21日月曜日

楽しいライブ2



                    左の雰囲気があるご夫婦は画廊をしているらしい
        ジョルジュのメガネがとてもお洒落です....お若い頃はプロカメラマンでした
                         ワンコもかわいいです

楽しいライブ

                  私よりも...多い〜...と言う目をしています...まるで子供







            「ネコ学校」のポスターを発見...一体何を教えるのかしら?魚取り?


日曜日、ガラスのMichi先生のお家近辺のパーティーがあり
画家の友人と3人で行って来ました

古いピアノがあるとのことで...歌えるかもしれないよ...と言われ
その場に居合わせたご近所さんたちにも「歌え〜」コール

プチライブを勿論普段着でやって来ました

ちなみにこのお家、アトリエは彫刻家のジャコメッティ−のものでした

お家も庭も....古くて美しい時代...今に映す空気の空間でした

リクエストまで頂いて嬉しい感じでした

家主の方に今後、ここでライブをしてよいかと訪ねてみた所
喜んで是非やってほしいよ!と言って下さり...これも嬉しいあまりです
CDも購入したい!と言われ2重の喜びです

よい日曜日になりました

歌った曲
喫茶「工場の煙」
Mon amant de St-Jean
Les feuilles mortes(枯葉)
La java bleu
Le temps des cerises(さくらんぼの実る頃)
Hymne a l'amour(愛の讃歌)

アンコール
喫茶「工場の煙」
花棺

La java bleuとLe temps des cerisesは皆で一緒に歌ってくれて楽しかったです^^
Merci!

追伸...8月の高円寺「人形茶館」でのライブ写真が
茶館さんのHPで見れます
ご興味のある方は
                      右に貼ってあるリンクからどうぞ☆

2009年9月18日金曜日

感謝


小さい頃から...いつも私を可愛がって下さり
書道を励まし応援して下さり
比叡山書道競書大会のために何度も岩手から京都まで連れて行って下さった方が
布教のため京都に滞在中、お若くして亡くなりました

地元の大きなお寺の住職さんで
国重要無形民族文化財に指定されている舞の演者でした

いつもニコニコして
「ミオちゃん、頑張っているね」とずっと何歳になっても
柔らかく声をかけて下さった方でした

その住職さんのお寺に
時が経った今もある
きっと
今は風化し続けている、あの頃の石書
思い出のままに
.......

いくら思い出しても
その方のお顔持ちは笑顔だけしか浮かんで来ない

その方は
きっと、何かを存じて強くいた方なのだろう...

幼少時代
母と、この住職さんの優しさが私にとって...心の支えでした

ありがとうございます

ありがとうございました....


海音

プレゼント






日本からプレゼントが沢山☆入った段ボールが届きました
嬉しいな....ってニコニコ...

段ボールを空にした途端
ミロンガもティラも新しいお家?!と思う勢いで
代わりばんこに入っては遊んだり、眠ったりしています

.....そして何故か...段ボールの中に栗を運んでいます(笑)

大切な人が送ってくれたプレゼント...

私も猫たちもドキドキワクワクで嬉しい気持ちです^^



2009年9月16日水曜日

頽廃前夜


最近、4枚目のCDにいれる最後の曲を作曲中です

もう曲は殆ど....なんとなくですが出来上がっています

毎日...近所の人々は同じフレーズを聴かせてしまい
申し訳なく思う分もあるのですが

ワクワクです

曲が生まれる時は....いつもワクワクします

これから
秋の夜長は

この曲に詩(うた)をつけます

時を紡いでやっとここまできました

真綿であなたの首を絞めてあげる....とは

歌いません

自分の時が移り始めました、
きっと今年


2009年9月15日火曜日

マエストロ

                    1950年代....先生が30代の頃のブロマイド写真

                   この白髪の方が今の先生...美しい青灰色の瞳


いい男シリーズ2回目は(ただ単に自分の師匠たちを紹介しているシリーズ)
昨日、2ヶ月半ぶりに逢ったピアノの師匠
アティ(ハンガリー名 アティラ)レンギエル先生です

現在86歳、現役ピアニスト、15年以上同じプジョーに乗り
絶対口からパイポを離さない...豪快に喜び、豪快に怒るマエストロです

もう7年くらいのお付き合いです
あまりに出来の悪い弟子(私)をとことん可愛がってくれます

初めてレッスンを受けた時
「君、何か今日は弾いてくれるのだよね?」
ある程度のレベルの奏者は暗譜で自分の得意曲を弾いて...レベルと個性を見てもらう
「すみません...私、3年ほどピアノから離れていて...今、何にも弾けないんです..」

恥ずかしながらも正直に答えた私はドレミファ...のスケール指使いさえ
忘れて弾けなくなっていました
それから半年間....毎日6時間、メトロノームが恋人で
12音階のスケールのみの練習を指示されたのは過言ではありませんでした

時に、バナナの皮や、ファンタの空ボトルが頭に飛んで来て
訳がわからない位、どなり散らされた時もありました
上手く弾けないと...さようならの握手もしてくれない
仕舞には君との時間は僕には必要ない!なんて言われる

自分で言うのもなんですが
私は褒められて伸びるタイプではないので、慣れていると言えば慣れているけれど
流石に至極厳し過ぎて...やめようと悩んだ時がありました
(練習がきついのではなく、先生がスパルタ?に近かったことから)

でも、やめませんでした
今の弾き語りのピアノテクニックもレンギエル先生についていなければ
無かったに等しいものです

先生....
ハンガリー人でピアニストの登竜門「フランツ リスト コンクール」で
戦前に第1位を取り、デビューコンサートには1万人が駆けつけ入りきらなかったそう...
でも、すぐ戦争が始まり先生は戦場へ行き...負傷しながらも生きて
戦後、パリでピアニストとして風靡した方です

世界的チェリストのカザルス(お茶の水にカザルスホールと言うホールがあります)が
認めて応援した、BBCなどでも演奏をしたり、
作曲家マルタン、メシアン、バルトーク、コダーイが賞賛したピアニスト...

今は
ファンタとバナナをムシャムシャ食べて....小さな音楽学校で教えている
年に1度のレコーディングや複数のコンサートもかかさない

私は....自分に厳しい人が好きです
飴と鞭ではないけれど...

時々...「食べるものが無い時は家に来なさい」と心配してくれます

そして先生は沢山の素敵な言葉をプレゼントしてくれました
私が昔、悲しみに沈んで全くピアノが弾けなくなっていた時に
「Tournez la page dans votre coeur」

「生きる上で、あなたの心のページをめくりなさい」

私はこの先生に出逢えた音楽人生を
ずっとずっと感謝し、これからも慕い続け

「音(自分)」を探してゆくのだと....思います




2009年9月14日月曜日

bois du boulogne ブローニュの森4






森に行く前と、森から帰ってきたあとの気持ちは違います

私は何度この森を静かに散歩したのか数えたことはありませんが

一番....質素で贅沢なひとりの時間を過ごせます

それは言葉でもなく
昨日でも明日でもない

ただ今日の小さな命が息をしていることだからです

bois du boulogne ブローニュの森3






移動遊園地、サーカス団が来ていました
楽しそうでした
そして、沢山の犬たち
飼い主...もしくは近所のシェルター(虐待や捨てられた子たちのお家)の子たち
家の近所にB.B...ブリジット バルドーのシェルターがあります...

人も動物も植物も
一緒にいれる環境は素敵だなと思います

みんな同じ、一緒

bois du boulogne ブローニュの森2






心を澄ますと
秋の実たちは何やらお話しているように感じます

Bois du boulogne ブローニュの森1






近所の森へ行って来た
秋は色も馨も空気も、全て変わっていく

変わっていくこと
強い生命の優しい詩を聴きながら
栗とドングリを見つけて
ゆっくり過ごせた

心の処方箋

自然の色は素敵
みんな、みんな髪飾りやブローチにしたい...って思った

ゆっくり歩いて
空を見ていました

2009年9月12日土曜日

道で見つけた



友人と別れてトボトボ歩いていた

目の前の道に色々捨てられてある山を発見...!

美しい黒いベニョワール(浴槽)、古いテレビ、棚....

一生懸命、ベニョワールを持とうとしても重過ぎて上がらない...

渋々諦め、水差しとパン焼き機?を手に家に帰る

タオルで磨いたら奇麗になった

パン焼き機っぽい扇風機を回してみたら動くではありませんか!
温風機でしたが....これからの時期は重宝します

多分70年代くらいのものたちかしら....

パリの街は時々
蚤の市よりも楽しいものを見つけることが出来る
道ばたで....

小さな幸福に
出逢うことが出来る

お別れ



この9年半、何人の友達を見送っただろう

何度繰り返しても
お別れの言葉を言う瞬間は....切なく、慣れる事は無い

いつも思う
どんな人であれ
日本人同士だけれど
もし自分が日本にいたら
出逢わなかった人びとなんだろうと言うこと..

パリにいたから出逢えたということ

「ミオさん...また、逢えるよね..?」って最後に言ってくれて
本当はその言葉を言いたかったのは....私の方

運命の糸、宿命の糸、再会の糸

昔、大好きだった街からのメトロに乗る時
もう2度と来ることはないのだな....と
複雑な思いで階段をおりる

可愛いお花が咲いていて
あの頃の私は、どこかにいそうで
もう、いないんだな....

「もうパリは5年、一生懸命生きたし、楽しんだから
もういいんです
生きる場所を変えるっていいことだと思います
これからが楽しみです
....ピアノも続けるし...」

と笑顔で彼女は旅立っていった
ネーデルランドへ